株式会社 内田工務店

スタッフブログ

親方の独り言

2011年 08月 01日 (月)

 出来るかなあ〜と思いながら
 本日より 東泉寺改修工事に着手している
 
 観音像設置部分の白蟻食害が激しく
 何の因果か 内田工務店に依頼が来て
 うう〜む これは 一体どこを どう手を付けて良い物だろうか と思いながら
 半日かけて 現場の状況を調査し 図面を起こし
 どの程度 修復すりゃあ え〜もんじゃろうかと 悩みながら
 補修計画と見積を作成し 提出した所
 「やって下さい」に なったので
 本日より着工
 
 現場は車も近寄れず
 約250mの石段を わしと井上さんと テゴの健ちゃんと 夏休みバイトのみずきと
 4人で 一人一個ずつの 荷物を抱え
 はあはあ ぜ〜ぜ〜言いながら まずは第一便の荷揚げを完了した
 
 推定120年程度前の建物(寺)で 当時は今よりも道は整備されてないはずで
 よ〜こねえな 丸太や瓦や土を ここまで荷揚げしたもんじゃと 感心する
 当時は電気もなかった はずで
 手ノコ と ノミ と カンナ と 金槌 だけで これだけのモノを造った人達が いた
 と 言う事で 延長コードを 延々と山頂まで流しながら
 物造りに かけた人達の 気概を感じる
 
 よ〜考えたら 自分の子供の頃は 「基礎屋」と言う職業も 住宅程度では存在せず
 大工が基礎を こしらえてて 重機もなく 手でひたすら 基礎ベースを掘っていた
 200円/mで 父親から 「堀方」を請け負って
 朝 現場にスコップとガンズメと一緒に下ろされた後
 朝から晩まで ひたすら幅60cm×深さ50cmの溝(=基礎ベース)を掘り
 夕方 父親がメジャー片手に迎えに来て
 「今日は 30mだから 6000円じゃ」と バイト代を貰い
 その当時の わしにとっては ものすごい大金で
 その金で 買い食いしたり いけない本を買ったりしてた
 小学校1〜3年の頃は 一日50円で 小学校高学年になって 300円程度で
 中学生では1000円で 高校になってからは3000円 貰ってた様な気がする
 
 材料や機械より 人の値段の方が安くて
 現場の釘拾いは 一本1円で 棟上げの時も レッカーなど無く
 丸太をチェーンブロックで上げて
 今の様に 朝始めて 3時頃には上棟 などという 仕事の速さは無かった
 
 左官と大工が居れば家は建つ と オヤジは良く言ってて
 確かに 瓦さえ 平葺きは大工 棟・尾周りは左官
 内装は 塗り壁かタイル・モルタル仕上げで 一件仕上がるのに丸一年かかっていた
 
 機械も進化し 「とめ」も機械がしてくれて
 金具も進化し 工法も 人手が掛からない方法に変化し
 先代(=父親)が 生きてたら
 今 わしが している事は 「ママゴトじゃ」と言うような気がする
 
 じゃから と言って 手間暇かけて 「手刻み」をして
 施主さんに 「掛かった分だけ下さい」と言う様な事は 出来るはずもなく
 やっぱり プレカットを選択してしまうし
 「こりゃ〜 え〜」 と言うような 電動工具や なんやかや 見つけると
 有無を言わず 買ってしまう
 早くて楽で 時間を お金(機械)で買ってしまう
 
 どの辺りで 機械と腕を 両立させるか 自分自身 よ〜分からん様になってきている
 
 図面も昔は手書き だったが 今は 99%CADで
 良い癖か 悪い癖か 分からんが 「手書きの味」を残せる様に
 言いたい事は太線もしくは 大文字で
 やりたい事を 分かって貰う為にあるのが 図面で
 図面は 現場の目安に過ぎない と 今だに思ってて
 確認申請や 瑕疵保証関連の図面と 現場図面は 表現が違って当然で
 ・・・・・・なんだか 話が逸れそうなので 図面の話は 又 今度
 
 何にせよ 人が 想いを込め易い 手仕事 が 出来たのが 昔で
 今のやり方 は なかなかに 「想い」を込め難い物では あるなあ というのが実感
 
 
 ・・・・・・・・・二人とポールの家 玄関ドア釣り込み終了
 なんとも え〜仕事をしている建具では ある
 こんな蔵戸を造れた職人が 羨ましい
 Sさんの要望で 内部建具はほぼ全て 明治・大正の品で
 一つ一つ見てると なかなかに「え〜仕事」を している
 高さが 175cm程度しかないのが かなり気になるが
 「これでも良い」と 住む本人が納得すれば これもあり かなあ〜 と思う

 

親方の独り言

2011年 07月 11日 (月)

 7/2、7/3と 直方建材さんの展示会に 出店してきた
 3月の展示会では 工務店の完成見学会と重なっていたので
 うちの母や 「てご」のけんちゃんや 浅原のおばちゃんに代理で出て貰っていて
 昨年3月・11月では これまた工務店の完成見学会と重なってしまい
 その時は まこちゃん(古賀君の嫁さん)やうちの母に 出店ブースに詰めて貰ってて
 今回は かれこれ 1年半振りに 直方建材の展示会に 自分自身で出店した事になる
 
 子供の頃(=自分の父親時代)の工務店は どこも皆 好調で
 建材店・材木店の展示会は なんだか お祭り状況で 物が飛ぶように売れ
 景品も海外旅行やテレビや自転車が飛び交い 焼き鳥などの屋台もあったりして
 親父と一緒に展示会に行く事が 楽しくて楽しくて 仕方なかった
 時代は移り 世は変わり
 今の建材展示会や 材木の卸し市(せり売り)には 屋台も酒臭いオヤジも無い
 
 地元の工務店が ハウスメーカーや地元の大手・中堅住宅会社に仕事を奪われ
 そう言う いわゆる「大手」の取引は 展示会での「現金販売」や木材の「せり市」では 決して無く
 価格の取り決めによる 「半金半手」や「3ヶ月・半年後決済」で
 わしの工務店の取引先である「直方建材」や「新宮山口木材市場」の様な
 「現金商売」をしている所とは少々安くても取引が難しい為か 「直方」や「新宮」には
 ハウスメーカーや地元の大手・中堅住宅会社の姿は無く
 わしの所の様な「吹けば飛ぶ様な」ちっちゃな工務店のオヤジの寄せ集めが顧客の
 「直方」「新宮」の展示会・せり市に 活気が無くなるのも道理では ある
 わしの先代時代の顧客が 半数以上を占めている状態なので
 廃業する所 メーカーの完全下請になってしまった者も次第に増え
 年々年々 展示会・せり市は 寂しくなって来ていて
 子供の頃の「好景気の状況」を体験しているだけに 今の状況が寂しく思える
 
 さておき
 今回 直方建材の展示会に集まっていたメーカー各社と 直接色々話する機会が出来て
 わしは 一人で ちょこまかちょこまか動いているだけなので
 山口県の工務店の情報入手はほぼ無く
 今の 各会社の仕事状況・住宅業界全体の状況の話も聞け
 なかなかに良い二日間を過ごした
 厳しい建築業界にあって
 それでも頑張っている地元工務店のオヤジ連中の顔も たくさん見かけ
 どうも わしらは 「造ってナンボ」の 根っからの「製造者」軍団の一員なのであるなあ
 と 実感した二日間
 
 「製造業」と言う職業に 取り憑かれると
 「物造り」に 携わってしまうと
 「営業」「サービス」「接客」「物品販売」という様な業種には どうにもこうにも戻れない
 わしらあの会話の根底にあるのは「ぎゃー ぎゃー言う前に『物』で見せろ」と言う事で
 わしの廻りの協力業者にしても わし自身を「物造りの親方」として見ており
 ぎゃー ぎゃー言ってばかりで 目に見える物を何も造り出さなければ
 「はは~ん 内田という奴は そう言う奴か」と ほぼ半白眼でわしを見るような輩ばかりで
 「わしも やる けえ あんたらあも 頑張れ」と叫び続けるのが わしの仕事なんじゃなあ…
 
 基本 わしの精神構造は 単純なので
 「甦町屋社中」で 未だに「よさこい もどき」を しているのも
 言うだけでは 何も出来ない 実際に身体を動かし 定期的に練習し
 人前で 踊りを通して 「感動」「元気」と言う なにものかを 人に感じて欲しいからで
 工務店をしている事と 同一線上にあると 思っている
 先日 擁護老人ホームで 踊らせて貰って
 たとえ一時でも じっちゃん・ばっちゃんの元気になっていく姿や
 喜んで涙を流してくれる姿を見て
 また 「やっちゃろう」「がんばろう」と思う
 
 どうにも 実際に「結果」の見える 「現物」のある事に 興味を抱くのが わしなんじゃろうなあ
 
 わしの尊敬する営業マンに松本誠という人間がいて
 「うっちゃん わしは 営業が好きなんじゃなあ」
 「わしらあは それがコーラでも鉄パネでもサポーターでも なんでも ええんよ」
 「わしが したい のは 良い物を わしが大事じゃと思う人に伝える事で」
 「あ~ 松本さんに『売って貰って良かった』と言われる事が喜びなんよ」
 そう言う言い方をする男で 気が合うのか合わんのか よ~分からんが
 たまに会えば 1時間でも2時間でも「生き方」について 話し合う間柄で
 それだけ話し込めば「意気投合」しているか と言えば そうでは無く
 「まあ アンタの生き方は間違っちゃないよ」
 と お互い 確認しあって 満足している気配がある
 営業マンとして尊敬
は しているが
 わしは 松本誠に なりたい訳では無く
 松本さんも 内田真一に なりたい訳では無く
 でも まあ なんかしら 頑張ちょるなあ と 時々お互い確認して 安心している
 
 わしは「物造り」に 取り憑かれてしまっちょる人間なんじゃろうなあ

 
 
 
 
 
 
 

親方の独り言

2011年 07月 02日 (土)

 梅雨明けも もうすぐ
 梅雨明け着工に向けて パンクしそうな仕事量を抱え
 相変わらず フンゴ フンゴ 言いながら 日々の仕事をこなしている
 
 手を挙げて 「わし(=内田工務店)は ここに いるぞ」
 と宣言しようと 年に2~3回程度 建物の見学会をする事にして 早3年
 基本的に それまで 現場は全て 紹介受注に頼っていて
 初めて会う人との仕事は していなかった
 この頃では 紹介が半分
 見学会経由の初めて会う人が半分
 くらいの割合に なってきた
 
 お陰様で 半年先~1年先までの計画が建てられる位の仕事量になり
 それは それで 有り難いのだけれども
 世には 様々な人がいて 自分自身も その様々な人の中の一人で
 人には必ず「合う 合わない」が あって
 わしの様な ちっちゃな ちっちゃな工務店では
 わしに ソリが合わない という事は 内田工務店に ソリが合わない
 という事で
 紹介の場合は 紹介してくれる人そのものが
 内田という人間を ある程度 分かっているので
 「この人に 紹介しても 上手く行くはずだ」と 判断して貰っているので
 会って見て 「こりゃあ お互い どうにもならん」と 言うような事が 起きにくいのだが
 初見にての 場合は 上手く行く事もあり 上手く行かない事もあり
 全ての人に 上手く添い遂げられる様な 立派な人間で わしが あれば 良いのだが
 わしは わし なので どうしようも無く
 分かり合えない事も 多々 あったりして
 
 仕事の量が 増えると 言うことは 分かり合えない場合も増えてしまう事なのか
 と 悲しい気分に なったりも する
 「時間は命」なので 会うべきでなかった者同士が 分かり合うのも
 それは それで良い事かもしれないが
 学生時代・青春時代の 年齢では 自分自身なく
 既に 死ぬ迄に どれほどの人と関わり合う事が 出来るのだろうか と
 考えてしまう事が 多くなっている年齢なので
 我が儘 かも しれんが 「お互いに 添うことが出来る者同士」で
 一緒に生きていく事が 出来ないものかと 思っている
 
 自分の時間は 大切な人の為に使いたい
 
 梅雨時期は 現場も動き難く 着工前の仕事が多く
 現場に出たくても出られず 身体を動かしたくても状況が許さず
 現場で フンゴフンゴ 言いながら過ごすのが一番好きなので
 きっと ストレスがピークに達しているのだろうなあ~
 
 ・・・・・・・・
 「二人とポールの家」上棟終了 10月の完成に向け コツコツ中
 「囲む家」実施設計 8割方完了 もうちょっとで 確認申請提出
 題意未定の物件 題意決定「ハイジの家」 としたい
 本当は Nさんの娘さんの名前の家にしたい所だけれど
 いやあ これは「ハイジ」では ないかと Nさんと話ながら 思った
 Nさんは 「違うぞ」と思うかもしれないが わしは そう思ってしまったのだよ
 題意未定の もう一件 じわっと決まりそうな気もしている
 
 ・・・・・・・・
 提灯祭りに向けて 隔週会議中
 7/6は 福寿苑にて 甦町屋演舞
 
 ・・・・・・もうちょっと 頑張って もう少し 独り言更新していきたい

 
 

親方の独り言

2011年 05月 17日 (火)

  先月末 東京出張してきた
 
 わしの工務店と同じ様な陣容(社員体制)で
 年間17棟の新築を完工している工務店の社長がいて
 その人の話を聞きに びっちり二日間を 東京新宿で過ごした
 
 各地から その社長の話を聞きに集まってて 総勢約70名
 各会社の人達を見ると 元気一杯で みんな よ~頑張るもんじゃなあ
 
 講師の社長の様な体制が 自分の目標ではないので
 完全に参考になったか といえば そうでも ないのだが
 あ~こんな やり方も あるんじゃなあ~
 わし 足りんかったのは ここなんじゃなあ~
 気付きの多い二日間で
 また ここ山口で 自分は自分なりに頑張ってみようかと思っている
 
 東京行ったついでに
 甦町屋社中で わしの前の代表だった ○子(マルコ)と飲んだ
 彼女は 仕事の関係で 数年前に山口から東京へと住所を移し生活している
 真面目な頑張り屋さんで しっかり生きている女性である
 前回 4年前に東京に行った時も 夜は○子と飲んで
 ○子が山口に帰って来た昨年も 一緒に飲んで
 縁遠いながらも 時々 話をする間柄で
 甦町屋Tシャツのデザインも ○子の物であり
 ○子の妹の「イヨ」の御陰で タップダンスを始めた事もあり
 自分なりに 遠く関わっておりたいと思っている奴で
 もう東京も長いから 不満やらなんやらあろう と
 愚痴でも聞いちゃろうと思いながら ○子と居酒屋で飲んでいると
 「コンニチワ」と男性が来た
 ああ ○子の会社関係の人か と勝手に思っていると
 「内田さん 実は先月結婚した旦那です」と ○子が紹介するではないか
 ありゃ 何時の間に こんな事になっちょるのか
 ○子の不満を聞くつもりで 行ったのが
 いつの間にか 二人のなれそめ や 旦那の彦(ヒコ)の事 や 指輪の事 や
 震災時の二人の行動 や 終始「二人の・・・」 を 聞く役どころに なり
 
 彦は 代々下町育ちで 男の子なら 必ず「彦」が付くのが家風らしく
 出身は青山学院大学で わしは 青山の人は一人しか知らないが なんだか似ており
 穏便で衝突を起こし難く なんだか聞けば聞くほど その名の通りの「彦」で
 段々段々 あ~良かった良かった と 妙に 感動し
 良かったなあ~ 良かったなあ~と 何度 「彦」の手を握り締めた事であろうか
 
 遠く離れた地で 若い二人が人生を歩んでいる事で わしまで幸せな気分になった
 「はよ~ 頑張って ばしばし子供を産んでくれ」と 彦と○子に 御願いし
 わしの 知らない所で 人はそれぞれ 自分の道を歩いているんじゃなあ~ と
 ちょっぴり感動の 東京出張だった
 
 
 連休明けても なかなかバタバタが 納まらず
 「しなければ いけない事」満載で
 先週 やっとタップの練習に1ヶ月振りに行けた
 が まだまだ「しなければ いけない事」満載で
 もう少し もう少し と 日々を過ごしている
 
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・
 「二人とポールの家」 玄関戸決定
 Sさんの頑張りで 立派な蔵戸が 玄関につく事に決定
 Sさんの 御陰で 古民具の世界を チョビッとかじる事が出来て
 一歩 一歩 え~家に 形造られて行く
 
 「光と風の家」内装仕上げ突入
 暖炉に乱石を初めて使用している
 なかなかに え~仕上がりに なっているんんじゃ なかろうか
 今回も また あ-じゃない こ-じゃない と 色々色々 やって見ている
 Mさんにしかない 家の誕生まで 残り一ヶ月を切った
 
 「囲む家」 前面みなし道路の 道路認定書類先決
 建てる前に 書類がいる事が なんと多い事か
 
 題意未定の 新築物件2件 現場調査 聞き取り調査に 突入
 防府;台所増築中 同じく 秋穂;台所改装中 防府;LDK・浴室・WC等大改装計画
 山口;食堂改装もうすぐ着工 その他 リフォーム諸々の計画・着工
 
 5/28は 秋穂ふれあい祭り エタ・維新・フリーダム
 5/29 もみ巻き
 6/11・12 「光と風の家」完成見学会
 
 東京は 動きが早すぎて わしには よ~ついていけん
 働くのが8時間でも 通勤で行き返り3時間の生活は
 忍耐が無いと 出来ん よ~みんな 元気に動けるもんじゃ と思う
 20代後半~30代前半の頃 2ヶ月に一度程度 東京に行ってた時は
 ウキウキ ウキウキ してたが なんだか みょ-に 疲れる
 出来る事なら あんまし行きたくない所でわ ある
 
 

親方の独り言

2011年 04月 24日 (日)

 自分にとって 「住まい」は 「自分そのもの」で
 一軒一軒 巡り合った人と一緒に その人にしかない「住まい」を 造って行きたい
 そう 思っていて
 
 それは 新築だろうとリフォームだろうと 同じ事で
 無い知恵絞って 持てる限りの力で 物造りしていて
 ただ どんなに努力しても なかなか完璧とは 行かなくて
 わしが「やらかして」しまう事もあり 棟梁衆が「やらかして」しまう事もあり
 協力してくれている職方衆も同様で
 でも でも 出来上がって完成する「住まい」は
 やっぱり「今の わしに出来る最高の物」で わしの子供みたいな感じで
 完成という 到達点に至る時 自分の中が 空っぽになる気が 毎回している
 
 「子供を嫁がせた親の心境」と「もう わし 全て吐きだしたけえ 何にも出来んけえ」
 との思いがあり
 
 「努力には終わりは無い」とか「満足した時点で後退が始まる」とか 言うけれど
 わしは その巡り合った人と一緒に「家造り」が出来た事で
 既に満足しており それなりに努力したと思っており
 「はあ もうこれで 思い残す事は無い え~人生じゃった」と
 その時点では それなりに納得しており
 「燃え尽き感」も充分あるので 「終わりでも ええじゃん」位の気でいる
 
 新しく巡り会った人と また新たな家造り を 始める時は
 何時も 「わしに何かまだ 残っているのだろうか」との不安が つきまとい
 もう わし限界じゃけえ な~んにも出てこんけえ
 弱気になり
 妻や子供以外とは あんまり会いたくも無い気も 時々したりして
 でも そうも言っておれなくて
 無理無理 仕事をこなしていると
 何時の間にか
 「もう限界じゃけえ」「もう何も出てこんけえ」と思い込んでいたのが嘘の様に
 「今度は こうしなさい」との神の啓示が 降りてきて
 めでたく 新しい子供の「核」みたいな物が 出来上がってくる
 
 毎回毎回 なんだか 同じ状況になるので
 これは 恐らく 「わしが 家造りの『核』を 持っている」のではなくて
 「巡り会った人が 家造りの『核』を その人その人持って」いて
 
 毎回毎回 わしは限界だと勝手に感じながら
 自分自身は 限界かも知れないが
 その人 その人 違った「核」を持っているから
 その「核」を見つける作業が成就すれば 限界に成らないのだ
 きっと そういう所なのだろう
 
 震災以来 断熱材・合板・住器の 流通の滞りが 激しく
 材料・現場段取りに 通常の倍以上の手間がかかり
 断熱材に至っては 全く「通常の商品が入手出来ない状態」で
 代替品を 致し方無く使っているが
 15年前の自分と違って
 「してはいけない事」「しなければいけない事」が 分かってしまっているので
 否応なく 「こうせにゃいけん」施工方法・納まり を しているが
 通常商品の4倍程度手間が かかり
 精神的にも肉体的にも 疲弊が激しくなり
 余計に 「わしゃ はあ 何にも出来んけえ」の後退意識が 頻々と勃発している
 
 震災を直接受けている人の苦労は こんな物なんか ミジンコ以下だと思うが
 この戦いは 長期化する
 あと2年は この状態が続くだろう と 覚悟しながら 生きていると
 またまた 疲弊感満載となる
 
 なんだか 震災以来 「え~話」は 極端に少なくなった
 「え~話」も なんだか したらいけん様な 閉塞感
 「日常」の ありがたみを感じる今日この頃
 
 
 ・・・・・・・・・・
 「光と風の家」震災の影響に負けず 完成に向かって着々進行
 「はあ こりゃ どうじゃろうか」ちゅう位 「え~家」に 成長中
 
 「二人とポールの家」仕切直し 再プラン&再実施設計
 「自分自身 わだかまっていた空間」が 自分自身が納得する空間に変貌する
 
 「囲む家」実施設計突入
 
 大型リフォーム工事 進行中=1 実施設計中=2 計画中=1
 ちょこちょこ工事 数件 随時
 
 今週は 久々の東京出張
 
 今年は ハワイへ 10日間 休暇に行く 必ず行く じぇったい行く
 妻と一華と母親と 一緒に行く
 
 ・・・・・・・・・・
 タップ 新曲に挑戦中
 甦町屋 5/3フジグラン公演 5/28秋穂ふれあい祭り公演
 提灯祭りは県大会=話合い中
 国体 700人の男なら じわっと始動中
 
 諸事情により 「奥様会」を1年以上してないので
 井上さん復帰を見て また やろうかなあ
 
 エピ 久々行ったが 相変わらず すんばらしい
 すぎ&さえちょり エピ 連れていかねば
 田中兄弟とも 行かねば
 
 一華 どんどこ素早い動きに成長中
 どんどこ かわゆく なって行ってるので 我ながら 親バカ
 
 連休中は 打ち合わせの連続
 内田工務店は 休まず営業
 
 清流庵は やっぱり何度行っても 素晴らしい
 
 ・・・・・・・・・・・・・
 「限界は どこの辺りなのか」考える事が 多くなっている
 人として 自分が 生涯に出来る事の おおめっそう は 分かっているけど
 これから 何が どうなって行くんじゃろうか
 わし 燃え尽きてしまわないんじゃろうか
 「自分自身の多く」は 望まないが
 「妻や一華や親族や巡り合った人達の多く」は やっぱり 望んでしまう
 わしの 出来る事 出来てる事
 実は 何にもなって ないんじゃ なかろうか
 そう思う事もある
 
 じゃけど コツコツ コツコツ やって行く
 
 それ以外の方法が あるんじゃろうか
 
 ほとほと よ~分からん