親方の独り言
2009年 06月 14日 (日)
6月に入り 怒濤の増改築・新築工事ラッシュにて
ぶつくさ言う暇も 正直なかった
というか これから暫くは この状態が続いていく
わしの廻りに 井上・吉松・古賀という棟梁衆がいて
各場 各場に別れて 違う御施主さんの所に行っている
図面打合せ・見積打合せをし
「さあ これから工事に掛かりますよ」という時
今まで接してきた 御施主さんの 性格と
「合うんじゃないかな~」と思われる棟梁に担当して貰う
なんだか変かも知れないが
床の無垢小幅板一つを 取っても
3人共 「やり方」が違う
3人共 「仕上がり方」が違う
仕事を見ていて 常々感じているが
「性格なんじゃなあ~」
いくら技術(腕)を 磨こうと
ある一定レベルに到達すると
そこから 性格 というか 癖 というか 生き様 というか
造る物に 現れてくる
「なんでも鑑定団」見ていると
「ほんま そんなに高い皿なんかいのお」
「こねえな ミミズの跡か ナメクジの跡か 分からん様な字が そねえしてええもんかいのお」
そう思う
一流に成る為には一流の物を分かる様に ならなければいけない
とか 良く聞くが そねえな事言うても 分からん
分からんもんは 分からんのじゃけえ 仕方ないじゃん
わしゃ 一流に ならんでもええけえ 勝手にしてちょ
なのでは あるが
でも 事 「建築」に なると
違うもんは 違うんじゃけえ と 思う
変な話では あるが
一件の家で 「違う手」(例えば 今回のように 井上・吉松・古賀が同時に) が 入った時
ああ ここは井上さんやったな ここは古賀君じゃな ここは吉松さんじゃな
分かってしまう
性格が ボードや板の一枚一枚に 染みついている気がする
自分自身 なんで分かるのか 訳分からん(ホントは分かってたりするけど 便宜上)
修行時代の設計事務所時代
先輩が3人にて その人その人の デザインを見ると
「はあ~ 性格そのままじゃな」と思っていたが
職人の世界も同じであるのだよ
全く同じプランで 同じ材料で 同じ時期に 建てたとしても
そこに関わる人間で 微妙に 「違う」物に なっていく
「この人が良い」 「あいつは悪い」
と 言うんじゃなくて
「違うんだよなあ」 と 言う事
ただただ 違う 性格そのまんまである
物は人が造る物だ と 思っていて
東芝 パナ トステム ミカド 三菱 日立 まあ何でも良いが
そういう製造メーカーの営業マンと 会っても
メーカーを 見ずに 人を見ている
日立を見ずに「イソちゃん(日立の営業マン)」を見ている
訳も分からない 名前だけの「日立」は 信用ならん
自分自身の事は 自分自身で あんまし判断つかんが
妻は「しんちゃんの建物じゃあ~」と 完成現場を見て言ってくれるので
若干なりとも 某かの性格・嗜好が 現れているのだろう
H工務店での修業時代
社長から しょっちゅう
「内田君やあ ええか ここはH工務店なんじゃから わし(社長)の建物や
西岡(工務部長)の建物や 内田君の建物があっちゃあ いかんのじゃ
統一性が ないと いかんのじゃ」
言われていた 経験からすると
良きにつけ 悪しきにつけ 「性格が出る物造り」を ずっとしているんだろうなあ
まあ 普通に表現すると ただのワガママ野郎 なんだろおなあ
でも 会う人 一人一人を じっと見てると
同じ事してても 一人一人絶対に違っていて
その人その人に魅力を感じないと 言うのは
実は その人の事を よく見ていない か 知っていないか じゃ ないかしらん
人は 知れば知るほど 面白いもんなのだよ
たまに 人息で うんざりする事も あるが
基本
「人を知る」というのは
その人の人生 生き様 を 「じっと 見る」
「感じる」 「思う」
事なんじゃなかろうかと 仕事しながら思う
・・・・・・・
着工している「海の見える家」のヘタピイ模型
どうせヘタクソなので 恥も外聞もない ええじゃん作っても
と 思いながら 今回も作製
薪ストーブを 久々にやるので
また今回は 新趣向 ちょびっと改善型納まり 及び プラン
エエモン 出来る予感満載
わしゃあ 楽天家なんじゃけえ ええようにしか ならんのじゃけえ
親方の独り言
2009年 05月 31日 (日)
梅雨入り近くなると もみまき となる
この辺りの地区では 田んぼを持っていない家の方が珍しく
内田家でも8反の 田んぼを所有していて
減反もあるので 正味6反の 田んぼ作り
物心ついた頃から 田んぼ は あって
小学生の頃 やっと 田植え機が 登場したくらいで
田植えの時には 田に苗代作って 田にひも張って 手植えの家も若干あった
昔の家族は 親戚の人数が多くて
もみまき・田植え・稲刈り・臼ひき・餅つき の時は
本家・新家(自分の所)併せて 20名近くの人間が集まって
みんなで作業していた
先代は なかなかに「昔のオヤジ」気性があって
子供の頃から成人してまで 田んぼで 働かされたのに嫌気が差し
自分の物心ついた時には 田んぼ に 一切入らない人に なってしまっていた
昔は8反作っていて この 田んぼを 誰が世話していたかというと
紛れもなく自分の母で
5月に入ると 医療事務の仕事から帰って来ると すぐに田んぼに向かい
一人で コツコツコツコツと しご をして
どうしようもない時は 小学校4年生になっていた自分を連れて
田んぼで仕事していた
ので 5月から稲刈りの10月までは 夕飯の時間は何時も8時過ぎ
ビール片手にソファーで ジャイアンツのテレビ観戦する先代を横目に
弟と日の暮れるまで外で遊び 時々田んぼの手伝いに行く生活が続く
農薬散布には 「噴霧機持ち」と「ホースの端持ち」の二人必用なのだが
なんと言っても先代は「昔のオヤジ」なので 手伝うはずもなく
小学4年生の頃には 簡単なマスクをして母親と農薬を撒いていた
「牛乳は解毒作用があるから飲みなさい」と散布の後には何時も飲まされていた
母親の役に立てるので その作業は 全く苦では無かったのだけれど
子供ながらに「よお こねえな事を ちっちゃい子供にさせて平気な父親がいるもんだなあ」
と 思っていた
弟とは 三才違いなので じわっと 弟も手伝い始め
自分が大学生に なった頃には 血は争えない物で
「わしゃ 田んぼ興味ないもんね 行かんもんね」
「かあさん よっぽど えらい時だけ 僕呼んでね」
「基本 田んぼには 行かんもんね」
オヤジの 仲間入りをした
14年前先代が 他界し その時は まだ自分は設計事務所で修行中で
建築途中の現場もあり OBのお客さんのアフターもあり
どうしようかな と 思っていた時
弟が
「にいちゃん にいちゃんは工務店を やってえやあ」
「僕は 田んぼの方を やるけえ 心配せんでえやあ」
と 言ってくれて
元々 工務店をやるつもりで 物心ついた時から生きてきたし
この仕事が好きだし ええ事言うてくれるなあ~ と
その言葉に甘えて 修行先の設計事務所や工務店に居ながら
その合間を縫って 内田工務店の仕事を 井上棟梁とこなして行く事になる
未だに 弟の「田んぼは僕が やるけえ」に甘えていて
自分が 田んぼ に 行くのは 田植え・稲刈り 位しかない状態が
十数年続いている
母も 段々年を取ってきて 田んぼに情熱を示さない自分に
「かあさんが 死んでも 他の人に迷惑かけんように 田んぼは作らんでもええけど
草刈り・溝掘りは ちゃんとしてよ」
と 言われているが
どうしたものか わしゃ 出来そうにないよ
なににせよ また 田んぼシーズン到来
もみ蒔き と 梅雨の時期は クロスしている
梅雨になると 田植えだなあ~ と思う
・・・・・・・「海の見える家」の確認申請も降り 来週から着工
「ついの住みかと眺める山と暮らす家」は外部じまいも終了し内部造作佳境に入る
リフォーム工事中二件 リフォーム検討中二件 新規新築検討開始もうすぐ
色々な人に会い 色々な事がある やりがい満載で なんとも嬉しい
親方の独り言
2009年 05月 17日 (日)
「ついの住みかに眺める山と暮らす家」の屋根じまいも終了し
今週から外部じまいに突入
今回の現場は 恐ろしく工期が短いので
古賀君を棟梁に据えて 井上・吉松の各棟梁が
目鼻が付くまでサポートして行く
自分の各部の納まり方法・形を具現化する考え方を
長らく一緒にやっていると言わんでも分かってくれていて
「こねえしようやあ」との打合せも段々少なくなって来ている
それでも一軒一軒みんなどこかが違っているので
毎回毎回今度はこねえしてみようやあ
が あるので
上棟からこの二週間は朝から晩まで現場に入り浸り
現場で やあやあ言いながら「形造り」していくのは誠に楽しい
楽しみながら物造りさせて貰う
そういう場を与えてくれた「Oさん」に大感謝の日々である
現場で そうそうしちょる自分達に遠慮して
現場が動いている間は入らずに
自分達が帰ってから家を眺められる奥さんの姿を見るにつけ
「幸せな仕事をさせて貰っちょるなあ」と感じている
子供の頃から不思議に思っていた事があって
二十年前位に気付いたのだが
食事したり喫茶したり
スーパーやコンビニで買い物したり
大きな物では宝石や車を買ったりした時
必ず店の人から「ありがとうございます」と 言われる
飯の場合は「ごちそうさま」とか「旨かったよ」位は言うのだけれど
物を買った時に「ありがとう」ってこちらから言った記憶は非常に少ない
先代に連れられて
小学生の頃から施主打合せや上棟や引き渡しや後の訪問に一緒に行っていて
「修(しゅう)ちゃん ありがとうのお~」と施主さんに声を掛けられる先代を見ていて
父親が誉められる・ありがたがられる姿も誇らしく なんだか嬉しく
けれど なんでかなあ~ と心に引っかかっていた物が なんでか分からずあって
ずっとずっと なんなのかなあ~ この違和感は と思ってて
会社員になって歯医者に行った時に先生に「ありがとうございました」と言った時
はたと 気付いた
ああそうか 仕事したり 物を売ったりして
お客さんから 「ありがとう」と言って貰える職種は
「医者」か「教育者」か「家大工」くらいの物であるのだなあ~
探せば じっと考えれば 「ありがとう」と お客さんから言われる職種は
他にも一杯有るのだろうけど そう 多くはないはずである
大半は お客さんに「ありがとう」と言う職種で あるはずであろう
そんな事に気付いて こんなに「幸せな家業は無い」との気持ちは 更に強くなった
精魂込めて 「形造り」を させてもらわにゃあ ばちが当たる
嬉しそうに 出来上がって行く「家」を眺める 旦那さんと奥さんの姿を見るにつけ
感謝の印に せめても精魂込めて仕事させて貰おう との 思いが強くなる
ありがたい事じゃなあ
・・・・・「ついの住みかに眺める山と暮らす家」の上棟写真
外からじゃあ よお分からん と 思うが
内部空間は 内田工務店の考え方満載の仕上げ と なる
お陰様で 軸組みの間違いもなく 死刑宣告は受けずに済んだ
形(軸組み)を素直に 内部空間に移行させる 肉付け作業に突入していく
親方の独り言
2009年 05月 10日 (日)
本日は日曜日なので 救急の現場もないので
現場は休み
何事に追い立てられる訳でもなく まったり仕事が出来る
昼まで「海の見える家」の確認申請提出準備して
昼から秋穂のスポーツフェスタに行って リレーの選手して
夕方から 防府にリフォームの打合せに行って
夜はフェスタの慰労会(飲み会)
ここの所 晴天続きで
「ついの住みかに眺める山と暮らす家」の屋根仕舞も月曜には終了出来るし
上棟の結果 予想しない出来事は起こらなかったし
というか これで良い形に仕上がって行くなあ~ と安心したし
朝一で 作業場の徹底掃除も済んだし
はあ~ ええ天気じゃのお~ まったり まったりじゃ
この三日 現場で ええ汗かいたし
昨日は 仕事でタップに行けなかったが
この調子だと 火曜の甦町屋と水曜のタップと
金曜のよさこい連絡協議会と土曜の天田会にはもれなく出席出来そうで
順調である
まったり まったりじゃ
3月末に 妻と臼杵・久留米方面に旅行して以来
休みらしき休みは一日もないが
6月か7月には 少しは時間が取れそうで
その頃には 妻の体調も落ち着いているであろうので
又 温泉旅行にでも 行こうかいなあ~
ええ感じの一日 まったり仕事しようっと
親方の独り言
2009年 05月 06日 (水)
「ついの住みかに眺める山と暮らす家」の棟上げを数日後に向かえる
やるべき事は 全て行った
準備万端
どっからでも かかって来なさい
不安は若干あるが 戦闘モードに入るので
心配は微塵もない
来る物は来てしまうので やり遂げるだけである
これから暫くは タップの練習にも行けなくなる
甦町屋の練習も二の次ぎになってしまう
それでも 一番好きな事を ガシガシやって行けるので
嬉しくて仕方なくなっている
棟上げの後は 又 「娘を嫁がせた父親」状態の侘びしさが数日襲ってくるのも分かっている
寝ても覚めても「段取り」の事ばかり考えるようになるのも分かっている
現場掃除しながら「なんでわしがこねえな事を せにゃならんのか」ぶつくさ言うのも分かっている
材料運搬しながら ボードを荷揚げしながら「わしゃ現場作業員か」つぶやくのも分かっている
汗をかき あちこちに あざを作り
それが自分の一番好きな自分の姿であると 自分自身が知っている
わしらあは 物造りが好きでたまらん人間で
エコじゃあ 地球環境に優しい家作りじゃあ 人に優しい家造りじゃあ と
もっともらしく言って見たところで
形を造っていくのが ただただ好きな人間であるだけで
ただただ それだけの せせこましい了見の集団なのだ
好きだから やりよる 苦にならん 楽しい わくわくする
プラモデルが好きな子供と いっちょ変わらん
いつのも仲間が この現場に 又 集い
いつもの仲間が この現場に 自分自分の「思い」を落としていく
「この家は お父さんが手がけたんだよ」と 一人一人が誇れる家を造っていく
ずっと ずっと 同じ事を繰り返す
毎回 毎回 新鮮で
毎回 毎回 良くなれ 良くなれ もっと 良くなれ と 一人一人が積み上げて行く
わしゃ この仕事が好きでたまらんのだよ
巡り合う 施主さん 職人衆 みんなみんな 好きでたまらんのだよ
そん中で 動く自分が 好きなのだよ
やっちゃるけえ ええ事にしか ならんけえ




