株式会社 内田工務店

スタッフブログ

親方の独り言

2012年 09月 10日 (月)

 「豊潤の家」の完成を間近に向かえ 仕上げ工事中
 「春来の家」は 盆前に上棟 瑕疵保障の中間検査も終了し コツコツ中
 「育む家」は 9/12上棟 9/15夕方より餅まき
 
 「佇む家」は 実施設計中
 「話す家」も 実施設計中
 
 題意未定の新築物件二件 じわじわっと 進めていく
 手を付けていないリフォーム工事を 「豊潤の家」完成後に こなして
 「佇む家」「話す家」に 着工して行く予定で 事を進めている
 
 「家造り」は 今更ながら 積み重ねの連続で
 わしも積み重ね お施主さんも「思いを積み重ね」
 各担当棟梁は 一枚一枚板を張り
 各協力業者も 各持ち場で 物造り を していく
 物体は 寝ちょっては動かず 面倒でも 繰り返しでも
 「作業する」「行動する」事でしか 家造りは 立ち行かん
 夢想等と言う物は そこには存在せず
 いくら想っても 思いを凝らしても 動くことでしか 結果は出てこない
 
 わしらあ 現場の者は そこの所を痛いほど 分かっており
 理屈も必要だが
 その理屈も 行動を起こす事でしか 表現出来ないのが 「物造り」なので あるよ
 
 はあ寝ちょきたい 楽したい もお無理じゃけえ と 思いながら
 命を燃やして行動する
 理解して貰えない事の方が 多いかも知れん
 理解してくれる人ばっかりとは 限らない
 けれど わしには 「物造り」しか出来ず
 各棟梁・協力業者も 「物造り」でしか 自己表現出来ず
 決して 高収入とは言えない
 現状を知ったらビックリする位 悲しい 「コンビニでバイトした方が良いんじゃないか」位の
 収入で 各職方は 頑張ってくれている
 わしらあは 「物造り」しか出来ず
 「物造り」に憧れ
 気が付くと この業界にどっぷり 浸かってしまっていた輩が 殆どで
 この わしを 取り巻く職方衆を見ると 嬉しくもあり 物悲しくもある
 
 完成して 各職方の責務を 全うして
 「ありがとう」「ごくろうさん」 その一言を 勝ち取る為に 働いている気も する
 
 わしは わしで
 お施主さんから 「ありがとう」と言われ
 各職方から 「え~仕事を させて貰った」
 そう言われたいが為に 不慣れな「考える作業」を 重ねている
 自分が 「良い」と思える 人間関係を環境を 整える為に 仕事をしている
 人生短いが まだまだ終わらん
 何時 先代の所に行かなきゃいけないか 分からんが
 その日が 明日かも知れんが その日まで
 「造り続けて行く」覚悟を決めている
 
 ・・・・・・・・・・・・ もう 随分経つが 「内田工務店と愉快な仲間達IN大分・臼杵ツアー」は
 好評の内に 幕を閉じた
 過ぎてみれば あっと言う間で
 日頃 現場で会っている 各職方だけで無く
 今回は その家族も 同行したので
 なんだか 大家族旅行の様相を呈していた
 一日目は 大分で「地獄巡り」「うみたまご」「各自で夕飯」
 二日目は 日中「ゴルフ組」「湯布院散策組」に分かれて行動 その後 「みつご」で宴会
 大座敷で フグを堪能
 み~んな 楽しそうで わいわい がやがや やっており
 いけん事に 宴会が 一時間程度経過して 宴会も最高潮を迎えた時に
 はたと 気づいて 思わず 言ってしまった
 「あ~ よ~考えたら ここの「飲み代」は わし持ち の はずじゃあ~」
 「よ~ 考えたら 今の今まで わしに だ~れも 酒注ぎに こんじゃねえか」
 「おまえら どねえちゅうんじゃ」
 言ってしまった
 皆の衆も わしの発言で 「はた」と気づいたらしく
 慌てて 注ぎに来る者数名
 「言わんにゃ こんのか はあ 分かった もお え~けえ 来るな来るな」
 駄々をこね イヤイヤをし スネオ君になり 気が付かなければ 良かった
 おまけに 解体屋の「おぼっちゃま山本」に
 「内田さん また そねえな事を言うけえ 男の価値を 下げよおがあ」
 「言わんかったら 皆 影で 『内田さんに感謝』 って なるのに 台無しじゃあ」
 等と ダメダシされ
 今度は その「誰も酒を注ぎに来ない と 何時も わめく内田」に ついて
 ちゃちゃが 入り 冷やかしが 入り
 宴会は わしを コケに する事で 最高潮のクライマックスを 迎える事になる
 わしの この環境でのポジションは 何時もこうで
 なんか もっと 「ダンディで 知的で 尊敬に値する男」的な ポジションに
 格上げされる日は 果たして 来るんじゃろうか
 きっと 年末の 秋芳ロイヤルでの180名パーティーも 誰も注ぎに来ず
 催促すれば 又 「小さい男じゃ」と 言われるに違いない
 愛妻に
 「金出して 段取りして」挙句の果てに いつも なんで わしはこういう扱いを受けるんじゃろうか
 と洩らす度に
 「しょうが無い じゃない しんちゃんが そういう風に しむけちょるんじゃから」
 と言われる
 え~ わし そんな つもりは 毛頭ないぞ そねえな はずは 無い
 そうしてくれえ と 頼んだ事も 一度も無い
 けど まあ よ~ 考えたら
 過去を振り返ってみると
 最初(入社当時)は 尊敬の眼差しで 見てくれていた 甦町屋のメンバー
 ないちょ・こえだ・きゃば・ぽっか・かいはら・みきちゃん・あいら・かずちゃん・ニカコさん
 カネゴン・ももい・モリダー・ガーコ・ガチャピン・ちいこ
 み~んな 今では ほぼ「ゴミ」を見るような目で 見ちょる気がする
 最近入社した「若」も そのうち わしを 道端のウンコ と 間違える様な気も してくる
 う~む これは どうにか せねば
 「ダンディうっちい」への道が 閉ざされてしまう
 
 う~む 結果には その過程が 影響するはずで ある ので
 どこの過程で この事象が起きる様になるのか しばし研究してみよう

 

 ・・・・・・・・・・・・・・ まあ 何にせよ
 好評だったので 毎年やると 自分が しんどい ので
 「内田工務店と愉快な仲間達バスツアー」は オリンピックの年に 開催する予定
 四年に一回位で 皆の衆には 勘弁して 貰おう
 もし もし もしかして 皆の衆の 心が変わり
 飲みの席では わしに「内田さん お疲れ様です」と 殊勝な言葉を吐く奴が増加すれば
 そういう「愛い奴」が 増加すれば 二年に一回位 開催してやっても よいぞ
 皆の衆の「心変わり」を 期待しておる
 
 ・・・・・・・・・・・・・・・ 今週は 水曜より べったり「育む家」の現場作業
 じぇったいに 「え~家」に なる
 まかせちょって 下さい
 えいえい お~
 

親方の独り言

2012年 08月 06日 (月)

 昨日 山口七夕提灯祭り 「みなこいのんた」が 無事終了した
 
 今回 我が「甦町屋社中」の 演舞曲は 「心躍(しんやく)」
 中々に 激しい踊りで 習得も難しく
 それも そのはず
 元はと言えば 山口県を代表する よさこいチームの「舞龍人」の トップ踊り子の
 りゅうじ に 振り付けをして貰い
 その当時 甦町屋に在籍してくれていた 「すぎ」が 丹精こめて 仕上げてくれた振り付けで
 
 無謀にも 二ヶ月程度の なんちゃって練習で 4月の「舞龍祭」に 出ようとして
 直前一週間前で わしが 「こねえな出来では 出れん」と ドタキャンし
 舞龍祭スタッフの皆様に 大迷惑をかけ
 社中メンバーも ちょびっとは 反省したのか
 今回は 今のメンバーなりに 頑張って 仕上げた状態になり
 やっと 今のメンバーで「心躍」が 踊れた
 
 そもそも 自分が 参加している物が 「よさこい」と言う範疇に
 入っている物か どうかも不明確なのだが
 舞龍人・蛍・馬関奇兵隊・かるま など どっから どう見ても
 やっちょるなあ~ と感心する 「よさこい」と 比べると
 なんとも 際どい感じのする 「よさこいモドキ」の気もするが
 それは 置いておいて
 
 「よさこい」には 「プロ」は ほぼ存在せず
 その人 その人 の 「思い」のみで 活動している物で
 諸所の「事情」が無い人など存在せず
 それぞれ 何事かを抱えながら それでも「よさこい」を 地道に続けているのが
 人の目に映っている「よさこい人」で
 キラキラ輝き 元気そうに見えるか知らんが
 ちょっとや そっとで 「見て感動する物」には ならんのだよ
 各々 事情を抱え それでも 「何事か」したくて 頑張った挙句
 舞台に立っている それぞれを見ていると
 その 最中に居るだけに 感じる物・考えさせられる事が多い
 
 今回 甦町屋のメンバーを間近で見て
 青組の演舞見て 舞龍人の「りゅうじ」と「みさき」を見て 蛍を見て 「ひらかわ組」を見て
 その他 色んなチームを見て
 それぞれの物を抱えた人々が キラキラ光る姿を見て
 
 仕事じゃない この「よさこい」に 情熱を傾ける この人々の 渦の中に
 片足入れ続けて 10年以上
 年々 この「キラキラ人」に 肩入れが激しくなっている自分を感じる
 そこまでして 何になるんか 報われるんか
 何にもならなくても 報われなくても
 ただただ その人その人のポジションで 「お見せする」状態にまで
 一生懸命 仕上げて行く
 この「キラキラ人」は 一体何なんじゃろうか
 
 変な言い方かも 知れないが
 わしは 「よさこい」は 愛してはいないが
 「よさこい やってる人」は 「やり続けている人」は 大事に思っている
 み~んな み~んな 愛しちょるよ
 わしも わしのポジションで 出来る限り やって行きたい
 
 今回も 提灯は え~祭りじゃった
 
 

親方の独り言

2012年 05月 21日 (月)

 昨日 ベトナムより帰国
 
 あまり 乗り気では なかったものの
 行ってみて やっぱり 良かった
 
 メインの 加工工場 TNP CO LTD の 副社長に会えて
 直接 話して なんだか 親近感が沸いてきて
 これもあり なんかも 知れん と 思えてきた
 
 妻に新山口駅まで 連れて行って貰い
 10:30福岡発 5時間飛行機乗り 現地到着 現地時間2:00
 一時間飛行場で待機し 3時頃 ホーチミン市内着
 戦争証跡博物館に 立ち寄り 胸が痛くなる写真の数々
 映画とは違う ベトナム戦争の姿を見た
 その後 ベンタイン市場を ちょろっと散策
 バイクの尋常では無い 多さに 驚きながら ニューワールドホテル着
 6:00 ベトナム料理の店に行き 9:00頃帰り就寝
 
 翌日TNP見学 その後 みやげ物屋に行き 多少購入
 7:00 中華料理の店に行き
 自分達より先にベトナムに着いていた 「ベトナム博士」と言って良い程ベトナム好きな
 小倉ホームの倉橋さんに くっついて フットマッサージの店に
 11ドルにて一時間 その後 就寝
 
 翌日 メコン川クルーズ その後 メコン川中洲の川下り
 3:00ホテル着 6時までの間に 昨日行った フットマッサージに 味を占めて再訪
 ベンタイン市場にて 親族関連のみやげを そそくさと購入
 8:00ベトナム料理の店に行き
 10:00空港 3時間待機し 深夜1:00ホーチミン発
 福岡空港着 日本時間8:00
 地元の健康ランドに行き しっかり寝て 夕方山口に帰省
 
 行った所は少なかったものの ベトナムの地を満喫出来
 なんといっても 現地の人と 間近でたくさん会えた事が なによりで
 TNPの副社長は 日本の千葉出身の人で 貿易関係の通訳をしていたところ
 奥さん(ベトナム人)と出会い 一緒に仕事をしている間に 夫婦になり
 一念発起 現在の会社を 立ち上げたとの事
 ベトナムでは 会社代表はベトナム人で なければ ならないらしく
 妻が社長 夫が副社長 子供は二人 従業員40名程度
 工場は 日本の設備と 全く変わらず
 ただ 機械類は 日本製の半分の値段で買える台湾製で あるとの由
 もともと 家具文化がベトナムには あるので 床板・壁板の加工は お手の物らしい
 確かに サンプルの椅子は非常に良い作りで
 金具を表面に見せない納まりは 日本人向けだ
 乾燥工場もしっかりしてて 加工に関しては なんの心配もいらないと思う
 一枚一枚の板の目視チェック 一枚一枚の仕上げ
 確かに 月給1~2万円の世界でないと あの加工賃は出せないのだろう
 工場のラインに関しては 大分で見たI社や 福岡で見たA社や 岡山で見たI社と
 見劣りする部分は無く
 ただただ 常時30度を越す暑さの中で
 工場の雰囲気は 日本の100倍の 「まったり感」が ある
 この温度では 一所懸命働け というのが酷で
 まあ ぼちぼち負担無いよう いこうやあ が 当たり前の印象を受ける
 情熱は あるのだろうが あんましやり過ぎると 体をあっと言う間に壊しそうで
 ほんま 体だけは大事にしてね と 思う
 適度に頑張るのも 難しい暑さで 汗もかかずに ゆったり加工に取り組む姿は
 やっぱりベトナム ならでは
 自分の我儘で 生産ラインに 内田工務店の床板を入れて貰って 本当に感謝
 きっと 大きな会社には自分は ならないが 潰れぬ様頑張るので
 末永く TNPの真継さんと 付き合いたい
 想像していたよりは ずっと立派なラインで
 だからと言って 大き過ぎるラインでもなく この中間所の工場が 非常に好感が持てる
 こんな所だからこそ わしみたいな 吹けば飛ぶミジンコ工務店と付き合ってくれる
 「加工形状に注文があれば 言って下さい 変更しますから」 とまで言ってもらい
 感謝の嵐で ある
 
 ・・・・・・・・・ ハワイでは ほぼ見ることの無かった ハンモックが
 ベトナムでは そこかしこに あった
 正確な値段は不明だが 300~400円も出せば 十分な物が手に入れられる
 エアコンも無く 暑くて じめじめした この気候には 欠かせないアイテムだと思う
 くつろぐ人達を見て あ~ え~使い方しちょるな と思う
 日本では なんか馴染まない光景が ベトナムでは ピッタリ フィット
 え~感じだった
 

親方の独り言

2012年 05月 16日 (水)

 明日から三日間 ベトナムに 視察に行く
 
 なんとも 情けない事に
 内田工務店で 標準仕様にしている 桧の床板を
 希望金額にて 加工してくれる所が 日本国内で見つからず
 よりにもよって 日本の桧を ベトナムまで持って行って
 加工して貰って 日本に また 運び直す
 その加工工場に 視察に行く事になった
 
 出来ることなら こんな事はしたくは なく
 日本の住宅は 日本国内で なるべく どうにかしたい
 ガソリンを撒き散らして 海を渡り 又 持って帰る など
 正気の沙汰では ない
 
 じゃからと 言って 国内で賄える 杉材を ロフトなら いざ知らず
 床に使う という感覚は わしには 無く
 また 高くても良いから 国内加工場にて加工して
 その分 お施主さんに 割高の物を購入して貰う感覚も わしには無く
 情けないけど しょうが無いんかのお
 
 ・・・・・・それにしても 情けない
 
 よ~考えたら 昨年のタイの大洪水で サッシが滞り
 建材や金物の 多くは やっぱり外国製品で
 純国産で 家一軒建てるのは 結構至難の業で
 どこまで 外国製品を 許せるのかは 個人の裁量の気もする
 が これは ちょっと わし的には 悲しい事態では あって
 視察は あんましウキウキ気分では 無かったりする
 
 また 現場を 三日間空けてしまうのも 空恐ろしく
 日本を離れてしまえば そうでも無いのだろうけれど
 今は 「皆の衆 わしが留守の間 ちゃんとやってくれるんかのお~」
 と 不安の塊なのだよ
 
 でもでも せっかく行くので ベトナムなる国を しかと見ておきたい
 現場の人にも会えるので 同じアジア人として 一緒に頑張ろうやあ
 と 励ましあいたい
 う~ん 少しウキウキしてきたぞ
 一日は べったり工場 二日目は メコン川クルーズ
 お~ もう少しウキウキしてきたぞ
 妻は 若い時既に ベトナムには行ったそうで
 後追いながら わしも行く よって 「会話の足し」が 少しは出来る
 う~む いよいよウキウキしてきたぞ
 覚悟を決めて 行って来る
 
 
 3月に 東京出張の際
 タップシューズを ベースメントまで行って 作って貰った
 殺人的に 忙しく
 シューズが 届いてからも 凡そ二ヶ月 練習に行けてなかったが
 ようやく 落ち着いて来たので 今月より 練習再開
 基本ステップの 再練習に費やされる毎日
 なかなか 前に進めん
 が このシューズは 非常に良い
 靴擦れも激しいが 踵がベロベロむけて行くが
 このシューズは 非常に良い
 履き慣らして行くのが楽しみに なっている
 履き心地は良いし 音も良いし
 慣れたら随分上達した気分になれる予感満載
 前のシューズは それはそれで良かったのだけれど
 もう6年も 一緒に過ごして 十分かな とも 思ったので
 思い切って 特注で購入してしまった
 新しいシューズと また 長い付き合いが 始まる
 
 ・・・・・・・甦町屋
 八代蛍祭り 出演決定 同日行われる「秋穂ふれあい祭り」は残念にも断ってしまった
 防府祭りは まだ 出演保留 もうちょっと参加者増えたら 是非出たい
 
 ・・・・・・・ 豊潤の家 上棟完了 10月完成に向け コツコツ中
 はぐくむ家 もうすぐ着工  春来の家 実施設計再開
 リフォーム工事 常時 進行中
 6月9・10 直方建材さんの フェアに参加
 
 6月上旬 愛犬エスの10歳記念旅行
 7月 内田工務店と愉快な仲間達 大分バス貸切ツアー
 
 8月には
 また きっと韓国学生のホームステイ引き受け
 提灯祭り メモリアルゴルフ大会
 
 そうこう してたら また年末に なってしまう
 
 今日は タップの練習
 また 靴慣らしにいそしむ 靴が良いと 練習も楽しい
 

親方の独り言

2012年 04月 18日 (水)

 相変わらず 日々 バタバタ ジタバタしていて
 わしゃ 一体 日々 何しちょるんじゃろか の 業務内容が 多かったりする
 
 3/31、4/1 予約制の完成見学会をした
 見学会を開催する様になって5年目
 見学会を すると 有り難い事に
 OBの方も来てくれたり 協力業者も来てくれたり
 もちろん 新規の人も来てくれたりして
 それは それで良かったのだけれど
 新規の方は 実際 どの人が 内田に興味があって
 数ある建築業者の中の一つに加えようとしているのか全く判断つかず
 現在建築中の人や 他社で計画が決定したけれど参考までに見ておこう
 と 言う様な人も 混じっていて
 
 そねえな奴は見に来るな とまでは 思わないが
 せっかく わしを確認したいと思ってやって来て下さったのに
 ほぼ無関係の人と話をしていて(←わしには その人が他社で建築中とは知らされていない)
 1時間待っても話が出来ず 帰ってしまった人が 今まで多数 おっちゃったはずで
 実際 内田工務店と契約してくれた 御施主さんに 後になって聞いてみると
 大多数の人が 「あんたは わしらあを 相手にしてくれんかった」と言う感想で
 「こりゃあ どうにかならんかのお~」 と 数年前から思ってて
 今回 事前告知して 予約を募ってみよう と 思い立ち 実施してみた
 
 結局 土日の二日間 1時間刻みで 予約の方と会い
 予約無しの方とは ほぼ一言も口を聞かず
 飯を食う間もないほどに 沢山の方と話が出来た
 予約をして来ちゃった人 それぞれに「熱い想い」が 有り
 「合う人」 「合わない人」の区別も付き 充実した二日間だった
 
 わしは かなり我が儘なので 「値段だけみて 白い箱」を作ろうとしている方は
 わしとは 絶対 ソリが合わないので
 「白い箱を作るのが得意な○○ホームが良いと思います」と
 自分なりの丁重さで お断りしたのも2件あった
 
 わしは 「これは これで良い」と 強情に思っており
 世には様々な建築会社が有り 様々な人がおり
 ソリの合う建築会社と建て主が 結びつけば それで良い と思っており
 別に 「○○ホームが 悪い」「○○工務店は イカン」「○○ハウスは 建物とは思わん」等と
 批判も意見も した事は無く
 各建築会社 それぞれ 自分の土俵で 踏ん張っているのは重々承知しているし
 各建築会社 それぞれ スタッフ一同頑張っているから この困難の時代にあって生き残っている訳で
 かなり 素直に 「みんな頑張っちょるなあ~」と感じている
 
 今回の形式は 「見合い」みたいな物で
 わし(=内田工務店)を 見て貰う手段としては かなり有効だと感じたので
 次回見学会も 1ヶ月前から告知して 予約制にしようと思う
 
 
 先日 わしの地元の「宮の旦」で 菜の花祭りに よさこい出演した
 わしの親世代が やってきた この祭りも 主催者高齢化の為 今年で最後
 引き継いで わしが やれば良い様な物だが わしには その気力が無く
 残念ながら このホノボノ祭りも 見納めで
 最後の協力で 甦町屋社中メンバーに声掛けしての演舞
 この「菜の花祭り」は わしの親世代が 九州に視察に行き立ち上げ
 TV取材(全国放送)も二度受け 僅か40世帯のジジババ村が実施する祭りとしては
 もう充分な規模で わしも毎年 楽しみにしていたのだが
 やっぱり 今年で最後
 人のする事には 始めと終わりが有り
 わしも 何時まで 甦町屋続けられるのか 分からんなあ~ と ちょっぴり寂しい
 工務店に関しても わしは まだ後20年は 死なないつもりで
 20年は現役でいるつもりだが やっぱり わしの人生も終わりが来て
 わしが 先代から受けたこのバトンを 次は誰に渡すのか
 ボチボチ考えておかねば と 僅かに思う時も こんな事があった時には有る
 
 
 4/8川棚温泉 舞龍祭 が 開催された
 4/5時点で 体調不良が2名出て また ママアズ故に 夕方の時間が なかなか合わず
 全員揃った(舞龍祭参加者9名)事も一度も無く
 こねえな状態で 出れようはずも無く
 「今回は 辞退しようやあ」と 少なくとも一週間前には
 代表のわしが 決断しとかなきゃいけなかったのに
 優柔不断な わしは 4/6(金)の練習まで 「今回は辞退」と言えなかった
 一人抜けた6名の 合わせ演舞を何度も見て 「スマン辞退じゃ」と言えたのが 夜の9時
 昨年は 服部さんの弔い合戦だったので 是非出たかったが メンバー不足で辞退
 今年は わしの判断の甘さで辞退
 はあ 舞龍祭関係者に どんだけ迷惑かけているか 計り知れない
 旅館は予約していたので 音羽旅館に泊まらせて貰い
 舞龍祭は 現地で観た
 わしは やっぱり「観る側」より「観られる側」が好きで
 なんか敗戦投手が 試合を観戦している気分で 居心地悪く
 とは言え 人数少なくても頑張っているチームも多数みかけ
 次回こそ 甦町屋として 川棚の地に立ちたい
 決断力の無さが ホトホト自分自身 嫌になった
 舞龍祭 不参加にしてしまったので
 八代蛍祭り と 防府祭りに 参戦しようかと今 メンバー募り中
 提灯祭りに向け 準備して行く
 
 
 「豊潤の家」基礎工事中 5/13上棟式
 「はぐくむ家」実施設計中 実施図面あと数枚
 「春来の家」実施設計一旦中止 基本プランの再検討
 山口改装工事2件 宇部改装工事1件 まもなく実施
 山口水回り全面改修本日引き渡し
 改装計画中6件 外構計画~実施2件 新築予定3件 他こまごま8件
 グチャグチャになりそうなのを どうにかこうにか こなしている
 この状態が ずっと続いているので この頃少しは慣れ
 整理の仕方が それなりに上手くなっている
 やっぱ「慣れ」なん
じゃなあ~
 
 
 最後の菜の花祭り 路傍に咲く 菜の花と桜 わしの地元の原風景
 わしは ここで育ち こんな人間になった