親方の独り言
2010年 09月 08日 (水)
前回に続き
韓国学生の後
パク君、リム君からメールが届く
パク君メールを そのまま転載
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
内田さんへ
このまえおせわになった朴(Park)ともうします。
韓国にはよく着きました。
宮島、岩国、秋芳洞、BBQなどは人生によって忘れません。
おかげさまでいい思い出をたくさんもっていきました。
お母さんと、naoki、ほかのおおぜいのひとたちにも感謝しています。
あとでまた連絡します。
気をつけてください。
内田さんの笑顔は忘れません^^
ほんとうにどうもありがとうございました。
H/Sとても楽しかったです。
朴より、、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
流石 日本語専攻だけあって
良く書けている
道行く 今時の日本人ギャルに 非常に興味があるらしく
今時ギャルに 「写真撮っても良いですか」と
ギャル写真を 集め
「日本の女の人は みんな美人です」 と
訳の分からぬ事を 口走り
どっから どう見ても オタッキーな ぽっちゃりデカデカ小僧なのだが
意外にパワフルで あり
筋肉オタクを見ると どうも 昔からの体力勝負を挑みたくなる性分で
「もしかしたら 勝てんかな」と 思いながら腕相撲をしてみると
あっさり負けてしまった
棟梁衆からは 「内田さんも もう若くないんじゃから 若い者には勝てん にいねえ」
「はあ 力まかせ は 引退しいさん」
と言われ
わしは 負けるのが かなり嫌いで
負けるのなら はなから勝負を挑まんので ちょびっと悔しく
微妙に あの日より 筋トレを再開している
パク君が 「今まで私が 腕相撲した中では 一番強い方です」
等と 拙い日本語で ニコニコしながら話すのが
又 さらに 悔しく
この腹の贅肉を 胸に向けて筋肉へと変貌させようかと思っている
韓国軍隊 恐るべし
兵役の間 パク君は どれだけの筋トレを 積んだのか
計り知れない
リム君メールを そのまま転載
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
うちだおじさん林君です。
連絡が遅くなって申し訳ありません。
学校が開講して忙しすぎました。
そのときお世話になってありがとございました。両親に毎日自慢してます。
僕もおじさんのように素敵な建築家になりたいんです.
この学期からは専攻科目の勉強を始めましたんですけど、
ほかの供達はその勉強を苦しがってますが
僕は楽しんでます。
おじさんのようになれると思ったら難しくないんです。
最近、日本語の勉強を始めようと思って本を買いました.
冬休みに、僕が軍隊に行く前に、おじさんと会うようになると、
そのときは、英語じゃなくて、日本語で話せるように努力します。
それでは
お元気になってください。
林君拜
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
英語でしか 話せなかったのに
これは どういう事か
初心者で ココまで書けるとは 驚きである
メール届いて すぐさま愛妻に
「ほれ 見い リム君のメールじゃ こいつは天才じゃ ないかしらん」
「一華なんか 『あ~』 『う~』 しか言えんのに どんだけ 短期間に努力したんじゃろ」
と言うと やはり妻は わしよりは かなり賢く
「日本語変換ソフト使ったんじゃない」 との由
あ~ そうかも 知れん その手が あった
よ~考えたら 学生仲間に 文章を日本語に 直して貰ったかも 知れんし
いきなり感動して アホみたいだったが
何にせよ かなりな努力を積んだ事には 間違いない
リム君は建築学科だったので
いつもは コースに入れない
「わしの現場」と「防府天満宮階段途中の茶室」に案内した
あの 天満宮に正面向かって右の茶室は ちょっと 「ここいらには無い建物」で
島根ワイナリー近くの 出雲歴史資料館だったか 茶室が7~8件立ち並ぶ所と比べても
遙かに 「建築レベル」が高く 「納まり」「意匠」には わし自身感じ入る所があり
アポなしで 訪れたのだが 事情をはなすと 責任者の方が
もう それはもう 懇切丁寧に 説明してくれ
「日本人の心は『武士道』だ」と 断言され
それも どうかとも思うが
心と精神が 物(建築)に具現化される という論理は
わし自身が信じている事なので リム君には ぴったりのコースだった様に思う
この二人 又 日本に来るかどうかは 分からないが
来たら いつでも ウエルカムじゃけえ
短い人生の中で こういう出会いが あと何度ある事だろうか
おじさんと呼ばれ そのうち おじいさんと呼ばれ
先代からの この家業
先代の造っていた建物と わしの代の建物は 明らかに異なり
ただ 先代の「建物に対する思い・人に対する思い」は
そっくり そのまま 受け継いでいると思っていて
「生きている」と言う事は 「変わって行く」と言う事で
「建築」も「人」も「この大地」も 永遠には続かず
わしは 今のこの時代を
同じ空気を吸っている人と一緒に生きていて
根詰めて 精出して みんなで「物造り」しているのだけど
永遠では無く
一緒に「時代を生きる」為に 仕事している気がする
ただただ パク君・リム君が 良い人生を歩む事を望んでいる
親方の独り言
2010年 09月 04日 (土)
あっ と 言う間に カキコミから一月半が 経ち
寝ていた訳でも さぼっていた 訳でもなく
日々 日々 ギリギリ 歯を食いしばって 生きてきた
家庭サービスも ほぼせず ギリギリ ギリギリ 過ごしてきた
8月は なんとも行事満載で
1.7月末「想う家」上棟 2.山口提灯祭り 3.お盆 4.メモリアルゴルフ大会
5.韓国学生ホームステイ 6.8月末「集う家」上棟
その間 計画中の物件・リフォーム・新築物件も同時進行で動き
「頑張る」と 手を挙げた時(=ホームページを造った時)決めたので
ギリギリ ギリギリ 言いながら 過ごしている
5.韓国学生ホームステイ
毎回の如く
宮島→錦帯橋→秋芳洞→水神公園流しソーメン
その他 アルム会食、赤瀬ビーチにてバーベキュー、秋芳ロイヤル入浴
の コースを辿った
今回の学生は「パク君」に「リム君」「日本語学科」に「建築学科」
毎回の様に 驚かされるが 日本語の出来ない子は ほぼ分かる英語を話し
今回は 日本語と英語の折半会話で わしの かなり怪しげな英語も通じ
韓国学生の 教養の高さは 恐れ入る
わし 学生の時 そんなに 立派じゃなかったぞ 又 今回も思わされる
これからの韓国を造っていく若者と時間を共有出来て
なんか わしは わしで 頑張らにゃいけんなあ~ そう思わせてくれる若者で
外国人と会うと何時も思う事だが
国家と個人は 違っていて
一人一人を見ると なんとも かんとも 愛すべき輩達で
戦争責任を問われる事も無く
お互い 良い人生を歩もうやあ と 共感する輩で
なんで 国家とか会社とか地域とか 得体の知れない物を背景にすると
人間 豹変してしまうもんなんじゃろうか
友人の陳さん(台湾人)と呉さん(中国人)の会話を 横で聞いていて
「台湾と中国」の話になると 二人とも明らかに「目つき」が変わり
お互い「殺しちゃるけえ」みたいな 話し方になり
収拾つかなくなり なんで こんな良い人達が
国家を背負ったと感じるや いなや 豹変してしまう物なのだろうか
人は その人 その人を見ていると 「愛すべき人」で
「良い人間」は この世に溢れているのに
会社やら社会やら地域やら宗教やら国家やら なんやかや背負った途端
「訳の分からない怪物」に なってしまう
毎年 韓国学生のホームステイを 引き受ける度に
「国家に属する人間」を 感じる
いずれにせよ 「パク君」「リム君」 二人とも「良い大人」になって行く雰囲気満載で
楽しい一時であった
4.メモリアルゴルフ大会
わしの先代が 工務店に持ち込まれる「お歳暮」を景品に
ゴルフ大会を始めたのが25年前
先代が亡くなり 「内田メモリアル」と名を替え
「お盆も開催してくれ」と言う要望に応えて
お盆も開催し 先代の弟分の西冨のオヤジを会長に据えていたが
西冨のオヤジも他界し
盆は「西冨メモリアル」 年末は「内田メモリアル」として
協力業者からの 中元・歳暮を景品に10組程度でのゴルフ大会
4ヶ月振りのゴルフにしては 91で回れたので まあまあ良しか
段々 ゴルフするのも面倒になって来ている
今の自分のブームは やはりタップダンスに移行している
多々 多々 色々 色々 あるが また 後日
本日の打合せ終了
帰って 一美と一華とエスの顔を見る
親方の独り言
2010年 06月 28日 (月)
本格的な梅雨シーズンの到来
例年であれば この時期の工事は あまり無く
ボチボチ 天気見ながら やろうかのお~ なのであるが
今年は 何故にか そうこう言って居れる状況で無く
ちょびっとの 曇りの隙間を狙って材料運搬し
ちょびっとの 現場ゴソゴソの合間に事務仕事・図面仕事・諸官庁手続き
5月連休より なんともかんとも「し難き事」多く
それでも どうにか今年の半分まで やっと来た
関わる事 関われない事 どうしようもない事
やりたい事 やりたくない事 望む場所 好まない状態
日々 生活し 息をし 飯を食い 寝
日常に流されるのに 抵抗し続けるのを ともすれば忘れがちになる
修業時代の最終年
H工務店で 設計屋として仕事をし
結局 その年は 契約件数100件を越え
設計は自分 ただ一人で
好きな「現場」にも行けず 朝から晩まで 図面打合せ・施主打合せに 明け暮れ
「人」が だんだん見えなくなって来て
建物しか 見えなくなって来て
それでも 抱える建物は 工事は進み
「この世に一つしかない その人だけの物」を造っちゃるんじゃ という 意識も薄れ
ただただ 流され 「仕事」に 「まくられ」 日々を過ごしていた事は
自分に とって もの凄い「良い経験」で あったと同時に
「もんの凄い 悪い人間になっていた」一年間では なかったかと 今にして 思う
世には 様々な人や 価値観が有り
その価値基準の中で 生活し 日々を過ごしているので
そのH工務店時代の「わしの姿」が 一方的に悪かった と 決めつけられる物でも無いが
今の わしは その姿は 嫌いじゃし なりたくないし あんまし「良い生き方」とも思わない
「何処まで現場に関わっていられるか」の基準で 今は動いているので
自分の 「関わりたい・目指したい状況」は あと もう少しの所に有る
わしは 秋穂に居て 秋穂を拠点に 「自分の思う 良い状況」を生み出したいのであって
人数は 多くなくていいから 関わり合う 全ての人に 幸せになって貰いたくて
わしの 他人との関わりは 子供の時から見続けてきた「家」に拠る のが 最良の選択で
「家」の事ばかりを考える そんな人間でありたくて
ただ ただ 何処を 何処まで詰めていくのか
そこの所は その人次第になっちゃうんじゃろうなあ~
大学院時代に染みついた
「本当は何なのか」を 元の大本から積み重ねるのが「論理」だ
その たった一つを「家」に関して 積み重ね 積み重ね
自分が 「本当の所はここなのだ」と 嘘・ごまかしの無い所で言える 「やり方」を求め
それが 「したい」が為に 廻りの環境(=職人衆)を固め
理論武装しながら 現場では「やあやあ」言いながら 楽しみながら造って行く
何処までのレベルを求めるのか 何処までの自然素材を求めるのか
何処までの気密・断熱・強度を求めるのか
念を凝らす程 「ああ わし自身が『良い』と言っちょるだけの様な気もするなあ」との思いもあり
じゃけど わしの考え方に賛同してくれる 職人衆・お施主さんと
ずっとずっと生きて行けたら 良いなあ~ そう思いながら 日々を過ごす
他人になら 「あんたは あんたで ええんじゃよ」と言えるのだが
自分の事となると ホンに わしはわしで ええんじゃろうかい
いやいや きっと良くないに違いない そう思う わしは自虐趣味なんかも知れん
何処まで求めるか は その人その人 頑張ちょるなあ~と思えれば
それで ええんじゃないかとも思う
・・・・・・・・「想う家」来週着工
本日 既存建物の解体も終了し 更地よりの着工
11月完工に向けて 準備着々
親方の独り言
2010年 06月 07日 (月)
昨日 秋穂「ふれあい祭り」終了
今年 甦町屋社中2回目の演舞
タップに1ヶ月余り行けて無く
先月中旬 現場で足を挫いてしまい動けない1週間も有り
社中の練習にさえ あんまし行けて無く
どうなるんかいのお~ と 不安を抱えながらの演舞であったが
色々 とちりは したが なんとか かんとか終了
今回 初めてピンマイクなる物を使用したのだが
ピンマイクは 息まで 拾ってしまうので
息を殺しながら演舞し 演舞しながら煽る(←がなりたてる)のは
いつもの調子と違い かなりハードな物だと分かった
「男なら」演舞2分程度で息があがり
ぜえ ぜえ するとマイクに入ってしまうので 息を殺し
息を殺すと ただでさえ体力落ちている所に酸素供給が身体に行き渡らず
演舞しながら
「もお わし このまま死んでしまうけえ」
「おかあさん・一美・一華 今まで有難う わし 故郷に戻っていきます」
「はあ 悪い事しません 神様どうか この苦行から解放して下さい」
「ごめんなさい ごめんなさい 何に対して ごめんなさいか分からんけど ごめんなさい」
辛く 倒れそうで でも顔だけは「笑顔」で
わしゃ ジャニーズの辛さが 今回 充分に分かった気がするよ
一曲終わる毎に 息を継ぎ
ぜえぜえ すると マイクに拾われてしまうので
息を又 殺し
静かに静かに 息継ぎをし
体力回復を待って 又 次のラウンド(演舞)に挑み
演舞前に計った体重から1㎏落ちていた
演舞終了後 水を1㍑飲んだので 僅か30分間に 2㎏体重が落ちた計算になる
もお ホントにハードだったんだから もお
とあれ 何とか終了
心配していた「かずちゃん」のデビュー戦も無事終え
カズちゃんは わしの後ろのポジションだったので よ~ は 見れて無いが
見ていた限りでは 素晴らしい出来映えだったと感じた
この1ヶ月 カズちゃん よ~ 頑張った
誉めてつかわす
次回は8/7提灯祭り
次回は「アヤッペ」のデビューとなる
じわっと「人前で披露できる程度の演舞チーム」まで引き上げて行きたい
・・・・・・・・「夢見る家」上棟完了
やっぱりリビング廻りは かなり「エ~感じ」になっている
久々に「登り梁」工法を採用したが
こういう空間の時は やっぱ「登り梁」が良い感じだよなあ
屋根仕舞い していて 屋根の上に上がると 海が見える事 が 判明
地面に立っていては気が付かなかったが 海に近い場所なのだよなあ
棟上げの時 初めて「屋根上からの その場所の景色」が分かり
ああ この地は こんな立地条件なのだなあ
地面に立っていた時とは 違う物が 見えてくる
屋根上から見る瀬戸内海は美しかった
・・・・・・・・・「二人の家」引き渡し完了
これからはKさんから連絡が無い限り 頻繁には「二人の家」には訪れない事になる
Kさん夫婦は 自分以上に「二人の家」を大事にしてくれそうで 心残りは殆ど無い
「二人の家」と一緒に 時を刻んで欲しい
親方の独り言
2010年 05月 30日 (日)
「夢見る家」の上棟を今週控え
とうとう 土曜日から「戦闘モード」に突入した
二週連続の「二人の家」の完成見学会も終え
あまりにバタバタしタップにも もう3週間行けていない
昨日 やっとチャンスが あったが やはり「打合せ」にて 行けず仕舞
なんだか 色々だよなあ~
「二人の家」の完成見学会では
施主のKさんが 5日間ずっと会場内で案内してくれて
もう それはもう 「有り難い言葉」を 一杯貰った
一つ一つ大事にしたい
「内田さんと出会えて 自分達は幸運だった」
「内田工務店でなければ この家は出来なかった」
「建ててくれた工務店は自分達の親戚になると思っている」
「『海の見える家』を見た時 これは『最高の家だ』と思っていたけれど
失礼かもしれないけれど 自分達の家こそ『最高の家だ』と今は思っている」
「後10年住む為に家造りを考えていたけれど
こんなに『元気』を貰って あと20年・30年 頑張りたいと思ってます」
もお涙が止まらんよ わしゃ「男の子」じゃけど 泣いちゃいそうだよ
え~ん え~ん え~ん え~ん え~ん え~ん なのであるよ
もお 工務店冥利に尽きる 男冥利に尽きる
親方やってて良かったなあ~ ホンに これじゃからこの家業は辞めれんのよ
わしゃ これがしたくて やっちょるのじゃなあ~
見学会に来てくれた OBの方・近所の方・新規の方 達が
「小上がり収納」に腰掛けて 空間を見上げる姿を見るにつけ
ああ~ え~家造ったのお
ほれほれ え~家じゃろお
えかろうが えかろうが ええと思うじゃろ
密かに心に思い自画自賛
Kさんが 又 誉めてくれるので わしの鼻は全長100万キロにまで伸びた事と思う
来週 「二人の家」引き渡し・説明
今回も「良い花嫁」に育ってくれたと信じている
一人一人(=一軒一軒)大事な大事な子供で
みんな みんな 「建ててくれる人にしかない子供」で
よく 内田さんの「代表作」は どの家ですか と聞かれるが
わしに とっては 一軒一軒が 代表作で どの子も違って
どの子も可愛くて どの子も良い子で 性格が違って
自分の分身が そこには居る と思っている
昨日 夕刻「繋ぐ家」のリビングに お邪魔して
Fさんの家だなあ~ と感じ その一体感が 幸せなのだと思う
「二人の家」の引き渡しを迎え 涙ちょちょぎれそうな中
「夢見る家」の上棟を迎え 涙と気合い 入交の日々が続く
タップに行けてないのは まあ 仕方なし
家物語を続行する
・・・・・・・・・もお2ヶ月 全く休んで無く
妻と一華への「罪ほろぼし」のつもりで 先週一泊二日のプチ旅行に行った
新宮プレカットの中嶋さんの奥さんがマリンワールドに勤めていて
メインは 花立山温泉宿泊・マリンワールド
個人的にイルカ&アザラシとスキンシップさせて貰え
つるつるのイルカの肌と スベスベのアザラシの肌に 感動
わあ~ お~ すげ~ わお~ ありゃ~ ふご~
一杯一杯 面白かった プチ事件はあったが なんだか ほんわか家族で
心和む一時
すまんなあ
わしゃ仕事が趣味じゃけえ あんまし相手してやれんが
わしゃあ 人が好きじゃけえ
巡り会い 同じ空気を吸い 同じ時を刻む 人が好きじゃえ
わしが 人と混じり合う手段が 一番有効な手段が 仕事(=工務店)じゃけえ
これが「わし」じゃし 工務店が「わし」そのもの じゃけえ
これだけは 仕方ない と 諦めて貰えんかのお
家業に纏わる関係者一同で 自分の人間関係は構成され
ただただ 地道に積み重ねる事を続け わしゃ これしか 出来んのだよ
妻の微笑む横顔に 幸せを感じる一時だった
・・・・・・・・・・
まだまだ まだまだ まだまだ 続行する
何時まで人生が続くのか 分からんが わしの人生を やり通す
プチ旅行にて 充電完了
はあ やっちゃるんじゃけえ とことんとんとん
・・・・・・・・
6/6は 「秋穂ふれあい祭り」 久々 甦町屋社中 演舞 煽り踊りとなる
「想う家」「集う家」実施設計中 年内完工に向け 着々中
リフォーム工事進行中 劇的ビフォアアフターに ちょびっと なっていたりする
全て 続行 はあ もお やっちゃるんじゃけえ


