親方の独り言
2008年 12月 22日 (月)
昨日は H邸の照明プランニング M邸の浴室&洗面の改装打合せ Y邸の駐車場打合せ
お伺いしたのは二件
お客さんと話していて思うのは
やっぱり その家その人その環境で 話されている事は違っていて
その土地で暮らしていて その家庭環境があって その職場関係があって その社会での立場があって
だから そういう考え方なんだなあ という事
改装でも新築でも 全く同じ事をする事は一度もなくて
商品が同じ(←例えば全く同じユニットバスを注文されるとか)でも
そこに至るまでの経過とか 仕事の仕方とか やっぱり その家その家で違っている
お客さんは 暮らしていく中で どうしていくか その自分の環境の中で考え
自分は 「たてもの屋」の考え方で 話をし
双方 付き合わせて 一つの物を造っていく
子供の頃 なんで勉強しなきゃならないのか 分からなかった
両親からは一度も「勉強しなさい」と言われた事はなかったが
まあ そんなに 勉強するのが好きでも嫌いでもない
学校での成績が悪いよりいい方が「かっこいい」から まあ やった方がいいかな
でも しゃかりきになってするより 中の上位なら良しで
好きな本読んだり 柔道の練習したり 陸上の練習したり
マンガ見たり テレビ見てた方が 良いかな
位の勉強の仕方だった
生きる事を重ねていると なんだか 分かって来たような気がする
勉強するというのは 考え方の整理をする手段を身につける為の方法論のような感じがする
なんか 分かり難い 言い方だなあ~
家庭教師していて感じるのは
数学は数学という「考え方」で社会に関わろうという学問で
物理・化学は 物理・化学という「考え方」で関わろうとし
歴史・地理も その 事実・過去・現実で 世の中を考えようとし
音楽も体育も国語も それぞれの 考え方で 「人の世」に交わる方法論を訴えている気がする
やっぱ 分かり難い 言い方だなあ~
大学院時代の時 研究室で「メイズ」の原本を 勉強していて
微分・積分とかけ算・わり算の 「考え方」が 同じであると分かった時は 超度級の感動があった
フーリエ級数や三角級数は 事象を表現する為に 考えられていて
基本構想は同じである事に気づかされた事も感動だった
有限要素法も その「考え方」で 力学解析しているんだなあ と 感動
大学院時代は 同級生の約半分(20名程度)が いわゆる外国人で
事業の半分は なんか訳分からんが 英語で行われ 最初は訳分からんかったが
使い慣れると なんの事はない 英語っていう考え方で表現方法で 物事を表現しているんだなあ
ますます 訳分からん 言い方になってきた
言いたいのは 「考え方」の巾を広げる為に 勉強をするのだろう という事
ずっと 人を見てきて思うのだけど 確かに「机に座っている」だけが 勉強じゃない
基礎屋・足場屋・材木屋・建材屋・サッシ屋・板金・左官・大工・塗装・掃除・電気・水道
建具屋・クロス屋・瓦屋 みんな それぞれの「考え方」を 持っていて
それぞれの立場で 一つの「すまい」を 造ろうとしていく
その中には 「誰が一番で わしは二番」という 考えはなくて
みんないなけりゃいけない 大事なメンバーで 大事な仕事で 上下関係はないと思っている
職方みんな それぞれの家庭があり環境があり その「職」の関係で 自分に関わってくれている
「わしには出来んから ここやってくれんか」の感覚なのだ
だからみんな一人一人大事な奴等で 愛すべき男達で その中で生きている事が 幸せに感じる
自分は 「お客さんに一番近い立場で 建築全般をちょびっとずつお客さんより かじっていて」
「お客さんにとって 何が一番重要なのかを 最良の道を探し出す」
その「考え方」でもって みんなと交わって行くのだ
なんか 金子みすずの「みんなちがって みんないい」って ホントだなあ
青少年よ
君たちは みんな そのうち「仕事」を持って 社会に交わって行く事になる
今 勉強しているのは
生きて行く・人それぞれの生き方をしていく・交わっていく
その「考え方」を 身につけるのに 非常に重要な事を 勉強しているのだ
と おっさんは 思うのだよ
なんか ますます 分かり難い話になった気がする・・・
まあよい
今日 夜は 内田工務店 「大忘年会In秋芳ロイヤル」
協力業者の面々に「助けてくれて有り難う・これからもよろしくね」の気持ちを送る
39名の職方・関係者・世話になっている人の集いの場
ほんま 「良いやつら」が 集まってくれてる
わしゃ おまえら 大好きだよ
わしゃ おまえらの「考え方」が 好きなのだよ
わしには 出来ん 事を 器用に やるの を 見ると 感動するのだよ
わしゃ おまえら 好きなのだよ
親方の独り言
2008年 12月 15日 (月)
本日から数日かけて U様邸の床張替(上張り)工事
Uさんとは初対面で 一ヶ月前の日曜日 工務店にこられて
「床を張り替えたいのだけれど・・・」という 御相談
早速伺って 状況を見て 見積りして 承認頂いて 今日から着工
今日の予定工事食堂部分の床張りは 無事終了し
おばあちゃんと話してたら 「内田さん所は Oさんとどういう関係になるんかね」との事
自分の母の妹の嫁ぎ先のおばあちゃんとUさんは親戚筋になるらしい
遠い遠い親戚である事が 判明
秋穂で仕事していると こういう事が 多々あって
何かしら繋がってて
「悪い事は出来無いなあ~」と思う
先代が言ってた事の中でも 好きな部類のナンバースリーに入る話があって
真一 わしのとおさんは 大工じゃなかったけど
『有り難かったなあ』と思う事がある
わしが こうやって工務店がやれるのは
わしのとおさんが 後ろ指さされん生き方をしてきたからで
「あいつの息子じゃから」と言われた事は無い
それだけでも わしは父親に感謝しちょる
まあ 行きたい大学に行かせてもらえんで 農業させられて 面白うはなかったけど
この仕事を始めて 「助かったなあ~」というのは
何処に行っても 「内田晟の息子じゃから」と悪く言われた事がないことじゃ
おまえに わしを尊敬せいとは言わんが わしは そういう人間になるよう心がけちょる
自分自身 OBの御客さんの所に行って先代の「にくじ」を聞かされた事はない
先代は先代なりに精一杯人生生きて来たんだなあ~ と 思う
地元で仕事させて貰っている と いうのは
「建築」という技術と人間性で 仕事を させて貰っている のではないか
今 同時進行している H様邸や 明日行くM様邸も
話してみると 協力業者の同級生だったり・昔同じ職場だったり・従兄弟の同級生だったり
たどれば 自分自身の辿ってきた道の どこかで繋がっていることが多々あって
山口・秋穂・阿知須・小郡・防府・徳地で仕事して行く って事は
何時も どっかで 誰かと繋がり続けて行く って事なんじゃなあ~
出会いがある度に 思うけど
だから この仕事は 面白い 楽しい やりがいがある 頑張れる
わしゃあ ほんに 秋穂が好きなんよ 山口が好きなんよ
この地に住む人達が 大好きなんよ
親方の独り言
2008年 12月 07日 (日)
この家業(家大工=やだいく)を続けてきて
物心ついてから この30数年 建物(主に住宅)を見続けてきて
耐震金物・高気密・高断熱・シックハウス・電気設備機器・住宅設備機器
基礎パッキン・通気金物・屋根断熱通気工法・自然素材・化学製品
様々な物や様式が 変わってきているなあ と 思う
修行時代(今も修業時代なのだけど 他人の釜の飯を食う と言う意味で)に
幸いにして 素晴らしい工務店の社長に 手ずから育てて頂いた
健康住宅の声が高まる10年以上前に 最前線のドイツ研修に10日間行かせて貰ったり
合理化認定取得の為に 日本住宅木材センターのある 東京赤坂に通わせて貰って
その当時の金物工法の最前線を見られたり パネル工法の最前線や
高気密高断熱の各地域での取り組み方法を肌で勉強させて貰えた
知ろうとすると 日本住宅新聞や その数年後始まった日経ホームビルダーや 日本産業新聞や
その他 色々なセミナーが 各地で開催されていて
「行きたい」と言えば 必ず社費で行かせて貰える 本当にH工務店の社長に世話になった
知ろうとすると 今まで知らずにやってしまっていた事 もっと良い「住まい」にする方法
「気付き」を与えて貰う事になる
一生に恐らく「一度の住宅建設」になる 巡り合わせて頂いた人に
自分の勉強が足りなかったせいで 「足りない住まい」に成ってしまうのは犯罪だ と考えている
だから 「面倒である」とか 「施工が難しいから」という理由で 行わない工事は しない
必ず 「なにがしかの理由」が 造る行為には付随していて 理由の無い事はしない
アイシン精機との金物打合せや 福岡大学の須貝先生や 院庄林業の副社長や 板久との話や
住宅新聞の編集長や 住友林業の福本さんや 現場の大工棟梁衆の意見や 協力業者の意見や
なんやかやの理由が 行為には あるもんだと 思っている
ちっちゃい ちっちゃい 工務店である事を言い訳に 「知ろう」とする事を 辞めたく無い
そんな事であれば 別の会社に入って 家造りをしても同じではないか と 思う
「知ろう」とする行為を続けていくこと
知ったからには 「良いと信じる工法・材料選択」を 行う事
会社組織では出来ない・出来難い
会社は利益を追求していく宿命を負っていて
もちろん「お客様に満足頂くことで利益を得ている」のだから
利潤の追求でなくて満足の追求だ
という 会社側の言い方も 間違いじゃないんだろうけど
違和感が あるからこそ 自分でごちょごちょやっている訳で
会社にいても出来るのだろうけれど 違和感があるので
というか 我が儘なので
ちっちゃなちっちゃな工務店の親方で あり続けたいと願っている
時間が足りない 知る行為は続けたい 時間が惜しい
今日も一日 屋根登ったり床下に潜ったり これはこれで大事な事なんだけど
今日も なんか 一日過ぎてしまった
時間を作って 知ろうとする事 続けて行くのが 自分の工務店の姿だと思う
親方の独り言
2008年 12月 01日 (月)
昨日 先代の時から お世話になっているI様邸に訪問させてもらった
和室の聚楽上塗り、浄化槽工事、耐震工事、屋根の補修の御相談
良くある事で 電話では「聚楽上塗り」の用命だけだったので
普段着での訪問
行ってみると上記のような相談内容だったので
お構いなしに床下に潜り 屋根の上に上がり また一着駄目にした
この「普段着で行って そのまま床下に入ったり屋根の上に上がる」行為が
妙に誇らしくて ちょくちょくしてるが その度に着る服がなくなり
気が付くと全て作業着に格下げになっている
妻に「作業着を何時も車に積んでいたら?」と指摘され
ああ ああ わしは何年生きてきたのだろう
そんな簡単な事に気がつかんかった
我が妻ながら その機転に脱帽する自分は あほ 丸出しの気がする
スーツであろうが一張羅であろうが お客様の御要望とあらば
「即座に出来る作業をその場で行う」行為が美しいのだ
自己陶酔しておったのだが 気がつかんかったなあ~
今度からそうしよう
さもあれ I様邸は 先代の建築から20年経った今でもびくともしていない
昔の事なので 入母屋二重屋根+蓑子付き下り棟+土塗り真壁
近頃では 殆ど見なくなった建て方だけど 確かに断熱・気密は全く考慮されてないけど
その当時は 先代なりに考えたんだなあ と 思った
時代の流れにつれて 家電製品が変わり通信機器が変わり
それにつれて 「人の住まい方」も 変化している
けれど 変わってはいけない物もあって
今 国土交通省がやってる 200年住宅プロジェクトも
「内部設備は変わっても 箱(=躯体)は変わらない → 手を加え住み続けられる住宅」
がコンセプトで
先代のしてきた事も その原型は200年住宅と同じ考え方で
我が父ながら「まずまず 良い仕事してるじゃん」と思う
200年はオーバーにしても
3世代60年は 中の設備関係をいじらないでも住める家が良いなあと思っている
自分の弱点は 出来上がった時よりも
10年20年経った方が良くなる住宅を目指している所であるのは分かっているのだけれど
新建築やアーキテクチャなんかの雑誌に のってる住宅を見ると まあ良いには良いなあ
と 思うけど 真似しちゃろうと 思わない所が 全く革新的でない
「住む為の器(=空間)」が 生業なので 住む人が望む空間を造ればいいのだけれど
すぐに 「10年後、20年後に 本当に外壁がこの色で良いと思われますか?」
聞いてしまう
なんだか 良くない言い方だなあ とは 思うのだけれど
何時も頭にあるのは 住む人の住み続ける人の空間構成と色使いで
それも「なるべく将来に渡って飽きの来ない空間と色使い」で
なんか 何時も「10年後、20年後は どうなっているでしょうか?」
問いかけを してしまう
なんか 良くない気もする 微妙に ずれている気がする
増改築にせよ新築にせよ 自分のしている事は
本当に20年後は どうなっているか 想像はできるけれど 確定はしていない
なんか 良くない気もする
訳分からなくなってきたが 今日も一日 がんばるんば
ともあれ 今出来る事を 最大限 今日一日頑張ってみる
親方の独り言
2008年 11月 23日 (日)
今日は タップ教室の年に一度の発表会だった
始めて 3年 なかなか目標のリバーダンスまでは届かず
遠い遠い道のりにも思える
もう何十年前か ビデオで グレゴリーハインズの「タップ」と言う映画を見て
身震いするほど感動し やってみたいなあ と 思った
そうこう する内に 修行時代に入り 余暇も無く 仕事ばかりの毎日を
ずっと ずっと 送っていたが 少々時間が出来始めて 「よさこい」を始め
まあ これも良し と 思ってたら
あろうことか 3年前に 近所(阿知須)にタップ教室が ある事が判明
いきなり 何十年か時間が戻った
即座に申し込み タップ始める前に 一ヶ月マラソンを始め
いきなり15キロ走り込みを全力でした次の日 立てなくなった
2~3日で どうにか体調も戻り 5キロ/日に距離を落とし 体力付けて行ったつもりが
こてんぱんに 痛めつけられる事になる
元々 汗かきなのだけれど 夏場は2㎏ 冬場は1㎏ 汗をかく
痩せるかというと きっちり その後のビールで 元をとるので やせる訳もなく
それでも どうにか こうにか 続けてきた
1年の練習で 発表機会は 僅か6分程度なのだけれど
グレゴリーハインズの映画の感動は 忘れない
タップを始めて リバーダンスという これまた すんごいのも見られたし
また 来年に向けて 「いつかはリバーダンス」「リバーダンス踊れずに辞めるものか」
週2回の練習に 仕事上の抜けはあっても さぼりは無い
わしゃ 始めるとしつこいなあ 自分自身そう思う
出来ないステップが出来るようになる
積み重ねて 積み重ねて 一曲の演舞になるのは感動であります
「いつかはリバーダンス」「リバーダンス踊れずに辞めるものか」

