親方の独り言
2009年 11月 01日 (日)
東南アジア青年の船 の 青年達の受け入れ終了
Hyder君 及び Phyo君 何れも いい奴だった
秋穂の片田舎に住んでいて
英会話教室に 行ってる訳もなく
大学院時代の英語による授業から はや20年
もお 日常に英語が 顕れる事もなく
しゃべれるんかいのお~
と 思っていたが 基本的に呑気なので どうにかなるじゃろ として
準備も 何もせず 引き受けたが
どうだったのだろうか よ~分からんままに 終わってしまった
本当は もっと「生き方」そのものについて 語り合い たかったのだけれど
聞くのは 何故にか理解出来ても しゃべるのが なんか片言で
僅かな単語の かき集め言葉は 不自由な物だった
不自由な会話の中でも
彼ら二人が 一生懸命生きている様 は 良く分かり
多民族国家のシンガポール と ヒンズーの国ミャンマー そのままの二人
使っていたデジカメは ミノルタにキャノン
インド系シンガポール人に 生粋のミャンマー人
緩いイスラムに 緩いヒンズー
公務員に 学校の先生
結婚4ヶ月に 未婚
ノンアルコール共通 ノンスモーク共通
彼らの7週間に及ぶ長旅の始まりに こんな片田舎に二日過ごしてくれた事が
良かったのか悪かったのか よ~分からん が
兎に角もって 終了した
わしには わしの人生が あるように
彼らにも 彼らの人生が あり
自国を愛し 家族を大切に思い
生きて行く事に 日々日々立ち向かい 喜び悲しみ
それぞれの人生を歩んで 行っとるのであるよ
河は 何時も流れていて 増水の時もあるが 基本的には 同じ流れに見えて
でも 同じ物が 流れている訳もなく いっつも違う某かが 流れの中にある
たゆまぬ時の流れの中で たまたま二人と同じ時間を過ごし
たまたま過ごした縁で 彼ら二人に幸あらん事を願う
ええ人生を歩いて行って欲しい
愛すべき若者(28歳&29歳)と 過ごせた何とも短い二日間だった
・・・・・・・秋穂まつり も 出演終了 その感想は又後日にて
親方の独り言
2009年 10月 25日 (日)
なんだか気が早いようだが
稲刈りが終わると 今年も終わりだなあ と 思う
工務店をしていると 年末迄の仕事も
この時期には 既に決定し
年末迄に向けての準備も終了状態に なっているので
そう 思うのかも知れん
年末迄には 「繋ぐ家」の上棟 「二人の家」の計画
直方建材リフォームフェスタ
種々の増改築
東南アジア青年の船のメンバー引き受け
フィッカルフェスティバルでのタップ
「秋穂祭り」「厚狭県大会」「秋芳ロイヤル」での よさこい演舞
「内田工務店IN秋芳ロイヤルパーティー」
去年と同じ事もあれば 違う事もあり
日々 出来る事を 積み重ねて行っているが
「しなきゃ いけない事」が 微妙に増えて行く
先日 昔の会社の同僚が訪ねて来てくれて
懐かしく ちょびっとは変わったけど
性根は変わってない奴の姿に 安心し
ただ ただ 奴には頑張って欲しいなあ
とは 思う物の
わしが昔いた会社に対する興味は全く無く
全く無い事に 話していて気付かされ
「しなきゃ いけない事」が 増えた分だけ 何か捨ててるんじゃないか
と 思っていたが
そうなんじゃなあ
「以前した事」で 自分自身に あんまり関係の無い所を
無意識の内に切り捨ててしまっとるのだなあ
題意変更
先日 なんとも「良い光景」に 会った
Kさんに 設計契約を貰う 事前打ち合わせの時
まあ 事前打ち合わせと いうか
打合せの時は 「わしは こういう人間です」という 説明をしに行ったのだが
写真が 廊下・リビング・寝室等々の壁に 所狭しと 貼ってある
写真と造作(日曜大工)の好きな御主人らしく 「作品は至る所に」で ある
わしは 元来スケベで あるから なのだろうけど
数ある写真の中で す~っと 目に入って来た 水着女性の写真
なんか 気に掛かり 近づいて見ると
あれ あれれ いわゆる「モデルさん」では ないぞ
さらに近づき目を凝らす と
推定一年以内の 奥様のワンピース水着姿 横座り砂浜バージョンでわないか
あらっ Kさん 75歳って 言ってたぞ
見学会に来てくれて 初めて会った時
「妻とは 同い年なんです」(←Kさん)
「あっ それじゃあ 恋愛結婚じゃあないですか」
Kさん夫妻顔を見合わせながら
「そうなんよ~」
の会話から ああ この二人の家を造ってみたいなあ
と 思ってはいたが
写真を見て
「これ奥さんですよね どこで撮ったんですか」
「秋穂の中道浜に この前行った時 許可を得て 撮らして貰ったんよ」
ワンピースで ある 素肌丸出しで ある
通常は写真に わしは あんまし興味ないが
これは 紛れもなく 「良い絵」で ある
設計契約を貰って もう既に テーマは決定
本当は「愛する二人の家」としたい所だが
愛とか恋とか 体育会系のわしには こっぱずかしい ので
「二人の家」 本当の本当は 0.1㍉の小さな字で良いから
「愛する」と入れたい所なのである
でも やっぱり こっぱずかしい ので ここは我慢
なんだか 又 「良い機会」を与えて貰い
約束された「良い家」を造らせて貰うまで 突っ走りたい
題意変更
来週は「秋穂祭り」
わしは 秋穂っ子 なので
育ててくれた 秋穂に 何かしたい と思っていて
年に一度の秋穂祭りに たまたましている よさこい で恩返ししたいなあ
と 思っていたのだが
6年前 何とも味の悪い出来事に会い 秋穂祭りに出演せず
昨年は 近所の区長さんが 「しんちゃん出てくれんかの」と
言ってくれたものの 人数揃わず 出演出来ず
今年も言って貰えたので やっと念願叶っての演舞
15分間しか与えて貰ってないので そこは不服だが
地元で出来るのは 非常に感謝
協力してくれる 甦町屋の面々にも感謝
維新→エタ の 順で 秋穂の真ん中で愛を叫ぶ
・・・・・・稲刈り終了 新米は 誠に うまい
命のうまさ を 感じる毎日 ごはんは おいしい
日本人で良かったなあ~
親方の独り言
2009年 10月 16日 (金)
防府市潮騒市場2F 「エピ」にて 奥様会終了
我々は 技術屋集団で
「物を造る」のが 好きで好きでたまらん人間で
好きな事を ただただ地道に 「やりたい」
ただ それだけの人間で
「物を造る」のにも その人その人の 方便が あり
志を同じにした人間が 一つの結果に向かって一緒に進んで行く集団で
「気持ち」や「思い」が 一緒なので
やっていても 楽しいし
そもそも 楽しくなきゃ 「やらん」 ような 横着な人間で
横着で あり続けたいが為に ただただ地道に 積み重ねていく
たまたま 同じ時代に生を受け
たまたま 同じような「匂い」を持ち
お互い 腹では 「わしゃあ 絶対に あんたには負けん」と思い
「造る」事から逃げない心を持った同士達
親方やってて ホンニ良かったなあ~
まあ
何かと言えば「うっちいの バ~カ」と言われる事 とか
「内田さんの仕事を取っちゃいけんから」と 現場トイレ掃除を断る とか
一度も酒の席で わしに注ぎに来た奴はいない事実 とか
宴会企画を強要される事 とか
商談は わし一人に押しつける態度 とか
荷物・材料運び等の体力仕事は うっちいの担当じゃけえ と 言い切る事 とか
まあ 数え出すと 愚痴になるので 辞めておくが
もう 愚痴ってしまっているが
まあ 何にせよ
一人一人を大切に思ってしまっている
ホンニ こいつらに出会えて良かった
親方やってて ホンニ良かった
ええ奴等と仕事して 楽しみながら仕事して 人に「有難う」と言って貰い
やっぱり わしは幸せである
「奥様会」終了から一夜明け
幸せ噛みしめる 今日この頃
・・・・・・相変わらず「エピ」は いい仕事をしている
何とも感心する料理の数々 造っている人の人柄が伝わってくる
ええ店じゃなあ~
親方の独り言
2009年 10月 11日 (日)
見学会終了後 6日間の遅れを取り戻すのに 今までかかり
なんとか かんとか 日常と自分が思える状態まで戻って来た
未だに 「やらねばならぬ」事は 抱え続けているが
抱えていられる事に 感謝している
日々日々 燃え続けていると
なんでも当たり前に思ってしまう様で
横着になって行く自分自身が見える様で
「まっかっか に 燃えて」生活していると 気が付かない事が
ちょっとした日常で あ~気が付かんかったなあ 面白いもんだなあ~
後になったり その時に 気付いたりする
先日 悪玉キューピー(←愛妻のパパリン)と 二人で飲んでいて
親子の年ほど離れている二人でも
旧来の親友の様に 話している事実に気付き驚いた
何故にか 悪玉キューピーは 初めて会ったその日から どうにも他人の様な気がせず
話せば 話す程 居心地が良く
生まれ育ち や 考え方 や 癖 や 性格 が 分かって来るにつれ
この人は 物心ついた頃から このカタチの原型が出来ていて
あんな事や こんな事が その原型のカタチを 大きくさせて行ってるんだなあ
理解し
分かっちょらんかも知れんが 分かった気になり
益々 居心地が良くなる
・・・・・なんか 悪玉キューピーを誉めている文章になりつつあるので弁解しておくが
あくまで 「男として」 まあ ええ奴じゃないか と 思う訳で
キューピーの 息子になりたい とか 妻になりたい とか 言うのでは ない
立場上 義理の息子に なって しまって いるが
まあ ええ同士でわ ないか と 感じている
人は 性根は 変わらん物で
両親や社会や環境で 何時か分からん 幼少の時に
その人 その人 の 性根 が 出来ていて
年を重ねると言うのは その原型に 薄皮を重ねていく作業で あるのだなあ
これが 先週の発見
先々週 取引先の(株)直方建材の 御招待宿泊に 行って来て
清流庵 なる 旅館に泊まり
なかなかに 良い 納まりを 随所に見せる旅館で
設計者と職人に敬意を表したくなる建物に出会った
そうは言っても この業界に長らく居るので
「あ~ やってしもうちょるなあ」
「もう一歩じゃったなあ」
「もうちょっと頑張れたのにの~」
の箇所は 至る所にあるし 目に付くのだけれど
何にせよ 「よ~やっちょる」のには 変わりはない
木が好きな連中が 「寄って集った跡」が 随所に見え
感心至極
ええ 納まりを 発見させてもらった
以前 東京の「世田谷美術館」を見に行って
あまりの 素晴らしさに 涙が止まらなかった時から
ナンバー2の 素晴らしさだった
・・・・・世田谷美術館を見た時 脳裏には モーツアルトが響き
その建物の 言いたい事が 分かる様な気がして
足が震え 気が付くと 泣きながら建物を 俳諧していた
これが 先々週の発見
見学会終了後
親友のぶりん と 妻 と わし で
プチ慰労会を 防府潮騒市場二階 レストラン「エピ」 で 開催
一年前に 初めて訪れた時から 時は経ち 「エピ」の奥さんは出産し
主人が料理を作り 奥さんが配膳する 赤ちゃんは厨房の奥で待機
料理は 非常に「良い仕事」をしていて
親友のぶりんは 魚関係の仕事をしているので 魚にはうるさいのだが
のぶりん も 絶賛し
わしも気持ちの顕れる料理に感心し
妻は 奥さんのファンになり
この「エピ」の家族に 幸せが舞い降りる事を 切に願う
商売なので 「エピ」も どうなるのか分からないのだけれども
こういう環境で育つ子供は 必ず「良い子」に なる気がした
一つ一つ それぞれの環境で 人は原型を作って行く物であるのだなあ
今週末には 包丁研ぎに勤しんでくれた棟梁衆と
「奥様会」を エピにて 開催
井上・吉松・古賀 と 個人的に「飲み会・飲食会」を開いていると
かなり各々の奥様方から冷たい視線を浴びていたので
見学会終了後は 間が空いても
棟梁衆&その奥様を交えた「奥様会」を 開く事にしたので
もう 3回目か 4回目の 奥様会
日々 人と会い 人と混じり合い
わし自身も その中で 薄皮を一枚一枚重ねて行っているんだろうなあ
ようやく「大切な娘」の嫁入りの後遺症から立ち直り
今月末から 「新しい娘」の てんばをやく
「繋ぐ家」の現場が始まる
・・・・・・清流庵の「もみじの間」の一部
檜皮を残しての細工 こいつらホンに 楽しんで仕事しちょる
ちょびっと うらやましい建物である
親方の独り言
2009年 09月 25日 (金)
6日間に及ぶ ロングラン見学会終了
ぶったおれるかもしれん と 言いながら
倒れなかったので 今 ここに居る
予想の 倍以上の 初めて出会った人
OBの方々 近隣の方々
充分な事は 出来なかったけれども
兎にも角にも終了
地元の「大工工務店」の親方として
また 今日から日々の積み重ね作業を繰り返す
・先代が教えてくれた「生きていく意識」
・修行先の設計事務所での「デザインへの考え方」
・修業先の工務店での「住む人が大事の家造り」
・大学院時代に学んだ「問題点の解決方法」
自分の核になっているのは 間違いなく この四つで
自分の造っていく住宅は いつも この四つを基に広がって行っている
わしゃあ 「こういう人間です」 と言うのを
再認識した ロングラン見学会だった
わざわざ来てくれた「OBの方々」「近隣の方々」「初対面の方々」
ホンニ ホンニ ありがとう
わたくし地道に積み重ねて行きます




