株式会社 内田工務店

スタッフブログ

親方の独り言

2009年 08月 16日 (日)

 「ついの住みかに眺める山と暮らす家」の完成引き渡し 先日終了
 集中豪雨による 断水で工事が一週間ストップし 一週遅れでの引き渡し

 今回は 初回ヒアリングから完成まで僅か5ヶ月という短さの中で
 いつもと同じ作業と同じ思い入れを ぎゅうぎゅうに詰め込んだ現場だった
 当たり前の事を 当たり前にする事が 短い期間と必用最低限の人員でするのが
 いかに辛い事であるのか認識させられた現場でもあった

 出来る限りの事はしたつもりだが それでも もう少し早く気付けば
 まだ もっと良く出来たのではないか と いう部分もあって
 あまりに 早く「自分の手」を 離れていく「家」に対して
 
 もっと手を掛けてやればよかったけどゴメンネ
 Oさんと添い遂げてくれよな

 また 一人娘を嫁にやった 寂しい気持ちを味わっている
 自分の分身が また 一つ 引き取られて行った

 引き渡し後 手直しに古賀君と訪れた時
 「内田さん この家は 本当に気持ちが良いですね 引っ越ししてて
 元の家と この家を 行き来してると この家は 涼しいし気持ちがいいのが
 本当に良く 分かるんですよ」
 言って貰えて 嬉しいのだけれど なんと言っても
 嫁にやった当方にしてみると 嬉しさ半分 寂しさ半分
 Oさんと一緒に 時を刻んで欲しいと 願うばかり
 「Oさんに 粗相せんでくれよ 一緒に過ごしてくれよ」
 娘の嫁いだ家族の平和と幸せを願う しょぼくれたオヤジになっている

 明日より 又 本格的に仕事再開
 盆は 妻の実家の子供と一緒に 秋芳ロイヤルの風呂につかり
 かぶと虫・くわがた を 取り
 西冨メモリアル(ゴルフ)を開催し
 親友のぶりんの 誕生パーティーをし
 いっぱい寝て いっぱい食べて いっぱい休んだ

 今週末は 毎年恒例の 「アジカレ」韓国学生がホームステイに来る
 今月末は リハビリ病院で 甦町屋演舞
 来月中旬は 「海の見える家」の完成見学会
 これまた 来月中旬は 上領八幡宮秋祭りに 甦町屋出演計画中

 積み重ねて 積み重ねて ひたすらに 積み重ねていかないと結果が出ない
 そんな仕事を している
 よさこい も タップ も 積み重ねて行かないと 「ええ感じ」に ならん
 積み重ねて行く事に 諦めた途端 それなりの結果になってしまう

 明日より また 日々 積み重ねの作業を 黙々と続けて行きたい

 ・・・・・・・・ Oさんの完成の一部 無垢の木と和紙 自然な空気は ええ感じがする
 計画中の家 テーマは「繋ぐ家」 またもや ヘタッピイ模型
 プラン出来るか不安だったが 出来てしまった
 もう既に「良い家」に なる事は 約束されている
 「嫁入り」に向けて 地道な積み重ね作業を続けていく

親方の独り言

2009年 08月 07日 (金)

 8/6(木)提灯祭り 出演終了

 うだうだ で どうしょうも なかったかも 知れんが 終了した

 今回の提灯祭り 「よさこい」の出演チーム数も少なく(約20チーム位か)
 何故にか お客さんの入りも少なく
 いつもの様な 「怒濤の提灯祭り」の如くの あわただしくも無く
 落ち着いた 演舞だった感じ

 6:30のパークロード演舞は 予想通り ワイヤレスマイクなし
 であったので 煽り踊りもなく
 かといって 一旦「煽り踊り」を経験すると
 「決死の覚悟」で挑んでいるだけに 若干の物足りなさが あり
 演舞する ママアズを横に 煽っていると 「疎外された自分」を見出し
 寂しがりやなので 寂しくもあり
 今回は 二つの演舞会場しか用意されていない事もあって
 終わった途端 ああ~ もお 半分終わっちゃったんじゃなあ
 
 その後 阿知須「賀宝」の 「煽り応援依頼」を 西村さんより受け
 「どっこいしょ」を煽り
 ちょびっとだけ 合わせ練習して
 7:40のメインステージへと上がった

 お約束なので 「いやあ~ やってきたのお 甦町屋社中じゃあ~」の出だしから
 蹴躓きながら 前口上を述べ 「煽り踊り」突入
 はあ 訳分からん
 毎年 観客を眺めながら 煽っているのだが
 今年ばかりは 景色を眺める間もなく
 「やあ」とか「そいや」とか「さあ」とか 踊りながらマイク片手に叫んでいたら
 なんか知らんが 終わっていた

 あれで「えかった」んじゃろか「悪かった」んじゃろか
 自分自身よお分からん
 ビデオ撮影してくれていた妻に感想を聞くと
 「廻りの皆が 頑張っているのが 凄く分かったから 良かったんじゃない」との由
 そおじゃ ないんじゃ わしはどうじゃったか ちゅうんじゃ
 わしゃ ナルシストなんじゃ わしは どうじゃったか ちゅうて聞いとんじゃ
 「う~ん 良く分かんない まあ いつもの煽りよりは ドスが利いた感じじゃなかったかな」
 いやいや そおじゃ ないんじゃ わしの「煽り踊り」は どうじゃったか ちゅうんじゃ
 わしゃ ナルシストなんじゃ わしは「カッコヨカッタか」ちゅうて聞いとんじゃ
 「う~ん 良く分かんない カッコイイ訳ないんじゃない しんちゃん なんか 勘違いしてない」
 ・・・・・・ 何を言っとんじゃ 真面目に答えちょくれ
 「ほらほら 福谷さんから メールが来たよ うれしかろお」
 妻の友達メールを見ると
 『今年も見ました 去年よりずっと良かったです』
 分からん 去年は わしは メインステージでは 踊らなんだ
 なんで 去年より「良い」と 判別出来るのじゃ
 「しんちゃんじゃ なくて 全体が 良い感じじゃったんじゃない」
 「よかったじゃん しんちゃん皆に 迷惑かけんで」

 ・・・・・・・ そうなのか そうだったのか そんな物なのか
 
 また なんか 勘違いしてしまっているのか

 吉松夫妻も孫連れで見に来てくれ
 「うっちい かっこ良かったで マイクパフォーマンスは群を抜いちょったぞ」
 と 朝の段取り打合せで 言ってくれたが
 そおじゃ ないんじゃ 煽りじゃ ないんじゃ
 わしの 踊りは どうじゃったか って 聞きたいんじゃ
 身内にでさえ あんまし見て貰らえん 邪魔せん程度の 踊りじゃったんじゃろうか
 そおかも知れん そおなんじゃろおか きっと そお なんじゃろおなあ

 提灯祭りに 妻に連れて行って貰う道すがら話していて 分かったのだが
 祇園祭りと提灯祭りを同列に見ると
 建築士会山口支部青年部で 「山口市民総踊り」に参加し始めた時から数えると
 既に15年間は 山口市の祭りに参加している事になる
 ここまで ホンに あっと言う間じゃったなあ
 色んな事が あって 色んな変遷が あって
 建築士会本部を 拠点に 提灯の時は 活動させて貰っていたのも
 法人体制変革で 来年からは 士会を使わせて貰えなくなりそうだし
 「よさこい人口」は 確実に減少していて
 確かに 「よさ学生」は増えているけれど
 社会人のよさ人は 確実に減少していて 今後どうなって いくんじゃろ
 いつまで 自分自身 提灯祭りに関わって行けるんじゃろ
 社会人よさ人の 減少を 再確認して こういう流れになってるんじゃなあ

 次回 甦町屋演舞は リハビリ病院夏祭り
 「維新」を やる
 ママアズより 「内田さんも 覚えなさい」との 厳命があり
 今まで なあなあに していたが 覚えにゃいかん
 「維新」の 煽り踊りは これまた「決死」で あるよなあ・・・・・
 自分自身 甦町屋ママアズの踊りは かなり気に入っており
 その中で 蠢かして頂く事は 光栄では ある

 頑張ろおっと

 ・・・・・・・・・・ 提灯集合写真
 主催者が 気配りで 集合写真会場を設営してくれた
 甦町屋 人数少ない との理由で 手伝いを ここ何年もしていない
 人数少なくても 主催者側の仕事しているチームも もちろんあり
 毎回 頭の下がる思い
 みんな ありがとう

親方の独り言

2009年 07月 27日 (月)

 山口・防府地区は 大洪水の為 大渋滞・断水・避難
 こんな時に ブログ更新も どうかと思われるが やっぱり更新

 洪水被害については
 阪神淡路大震災の時の緊急危険度耐震判定診断派遣員として行った時の経験と併せて
 いずれ ここに書き込む事になるであろうので 後日

 構造見学会については
 この頃 「引き渡し」「完成間近」「計画中物件」に気を取られているので
 これまた 後日

 で 本日は 川本先生の受賞パーティーについて

 7/25 川本先生瑞宝中綬章記念パーティーに参加
 30歳の時に 名古屋大学土木工学部同窓会に参加して以来約15年ぶりの名古屋
 
 名古屋は やっぱり 暑いだぎゃ 暑くてむしむしして どうしょうもないだぎゃ
 暑いでよ 汗はかくしよ 地下は冷たいしよ 体調くるいまくりだぎゃ

 新幹線から 降りた途端 名古屋の暑さを思い出した
 恐るべき暑さと 不快指数の高さである
 日本一の地下街整備を誇る名古屋であるので
 地下街は ギンギンに冷えている 地下鉄で3~4駅分は優に地下街が繋がり
 地上に出た途端 最高不快指数を数える町である
 
 汗をかいたり ギンギンに冷えたりしながら パーティー会場に たどり着くと
 なんとも 懐かしい 面々に再会する
 宇都宮大学の清木 台湾在住・鹿島の陳さん 地研の呉さん 東北大の京谷さんや寺田
 川本先生 東海大のオメルさん 三輪田や竹市・・・・・
 みんなして それぞれ おっさんになり 社会的地位も じわっと上がり
 けれども みんなして 「きらきらした子供の目」を 持っていて
 それぞれの 立場で 頑張っている面々を見るにつけ
 仕事上の関わりは 一切無い面々なのに なぜか 嬉しい
 頑張っとるなあ やっとるなあ 社会貢献しとるなあ 生きとるなあ

 研究室時代から数えると もう20年の月日が経っているのだが
 人間「性根」は 変わらない物で
 いっちょ変わっちょらん面々である事に 嬉しさを覚える
 ああ わしは 何をしちょるんじゃろ もちいと頑張ってみても ええかもしれんなあ
 みんなの顔を眺めながら 頑張れる自分に変わっていく気がしてくる

 汗みどろに なりながら作業し 合間に事務仕事し 又 汗みどろになり
 止せばいいのに 合間にタップし よさこいし 社会貢献に ほど遠い自分の姿は
 彼らに比べると ちっちゃな ちっちゃな人間であるなあ と 少しは 引け目を感じ
 じゃけど わしゃあ ちっちゃい頃から したかった事は これであり
 たまたま 気まぐれで 大学院に行き 様々な人間と出会い
 山口に居たままでは 味わえなかったろう経験と 出会えなかった人達と会い
 元々 目指す職種も分野も違うので すれ違う事もないのだけれど
 あの「きらきらした面々」が 生きている事は 自分にとっての宝なのだと思う

 ワガママで自己満足の強い人間で 人の言う事を聞かない頑固者で
 我ながら どねえしようもない人間じゃなあ わしは と 思うが
 あの面々を 眺めていると 頑固に頑張るのも
 意地を張り通すのも 根性であり 一方的に悪い物でもないのかもしれん
 もうちょっと 頑張って 意地を張り通してみようかと 思ってくる

 ちょびっと 元気を貰った
 ちょびっと 反省した
 なんだか 嬉しかった
 良い 名古屋行脚だった
 やっぱり 川本先生は もんのすごい 素晴らしい人だった
 みんな みんな すんばらしい人間に なろうとしていた
 なんだか うれしかった

 ・・・・・・受賞パーティーと「きしめん」 風来坊の手羽先は 食ったが
 写真撮るの忘れた ひたすら食った 旨かった 悲しい事に人間は一日3食しか食えん
 台湾ラーメンと味噌カツは 食べてない 必殺モーニングは食った
 ひたすら暑く不快指数の高い名古屋 行くことはもう ないかも知れないが
 今度行くときは覚悟して行く 次の日行った 大阪難波のなんと涼しいことか
 ホンマ信じれん感じなんよ 夏の名古屋は…….

親方の独り言

2009年 06月 28日 (日)

 9月か10月着工予定で 来年2月か3月完成予定の家
 初回ヒアリングを 行った

 現地は確認 感じを掴む為に もう一度今週行ってみる

 まだ 机に向かっていない
 ヒアリングを したにはしたが まだイメージが湧いてこない

 毎回毎回プランニングの時は「出し切った感じ」があって
 直近では「海の見える家」が そうで
 ラフプランニングが終了した時点で 真っ白に燃え尽きてしまっていて
 もうプランニング出来んもんね もう わしから出ていくもんないもんね
 この土地で この家族で このプラン以外ありえんもんね
 もう何も出来んもんね 状態になり
 新規に 全く別の家族と土地と出会い
 さあ この土地と この家族と 結び合う家は どんなカタチですか
 の 問いに会うと
 もう 何も出来んけえ もう わしは前回で終わってしまちょるけえ
 もう 何も絞り出せんけえ と 毎回当初は感じている

 机に向かうのが恐怖で
 何も絞り出せなくなってしまっているんじゃなかろうか
 と どうしても思ってしまい ちょっぴり びびっている

 いい加減に 慣れてしまえば良いのにと 自分自身思うが
 完成物件で数えれば
 300件は優に超える 家族・土地と向き合って来たはずなのに
 毎回毎回 恐怖感 が ある
 「慣れる」事が ない

 同じ家族 同じ土地は 無く
 同じプランニングも 無く
 毎回毎回 この家族と この土地と 結び合う家は これ以外考えられない
 と 自分自身で 納得出来ないと
 着工~引き渡し~一生の付き合い へと 発展出来ない気がして
 そのスタートラインに 立つ時
 果たして自分に出来るのだろうか と 不安になる

 毎回毎回 なんとか出来てるから 今 ここに居るのだろうけど
 わしは 決して 芸術家でも建築家でもプランナーでもなく
 ただの ちっちゃな ちっちゃな工務店のオヤジで
 毎回毎回 結局は 「そこに住む家族」の「思い」を
 たくさん たくさん貰って その土地の特性を貰って
 なあんにも無い所から 一つのカタチが生まれてくる
 決して わしが考えている訳では ないのだよ

 神や仏は信じていない
 ただ信仰している人はいて
 先代や 西冨のオヤジや 中田のオジサンが 見守ってくれている気がしていて
 毎回毎回 「これしかありませんよ」と言う 天のオフレみたいな物が降りてくる
 ずっとずっと その家族と土地の事を考えていると
 ふっと オフレ が 降りてくる感覚があって
 今回もきっと降りてくる事を信じて考え続けてみたい

 この感覚は ホンニ よお分からん

 一年に一度くらい マスターズの神様が降りてきて
 ハーフだけだが信じられんスコア(パープレー)が出る事があって
 そのたんびに 妻に
 「今日マスターズの神様が降りてきた 遼君じゃなくて きっとわしが呼ばれちょる」
 と報告し
 「わしが マスターズに行っても悲しまんでくれ わしは日本の為に頑張る」
 と宣言し
 そもそも タップを始めたのも
 言うと どっか狂っていると いぶかしがられる ので 秘密にしておいたのだが
 近くにタップ教室が有ることが判明したその晩に
 「ブロードウエイで赤い絨毯から手を振りながら観衆の中を歩く黒い影」の夢を見
 これは きっと わしが 呼ばれちょるに違いない と 思い
 思い立ち タップを始め
 事ある毎に 妻に
 「わしが アメリカに行っても悲しまんでくれ これは世界の為なんじゃ」
 と言い

 最初は 「ホントね そうなると良いね 頑張ろうね」と言ってくれていた
 マリア様のような妻も もう この頃は 「またか」と言う顔つきで
 「ハイハイ」としか言ってくれない

 「ハイ」は一度しか 言っちゃいけないんだぞ

 二回言うのは悪い子なんだぞ

 と いう 日々の わしの行動からすると
 わしの神様も あてにならん 気もする

 何にせよ 日々日々 家族と土地の姿を頭から話さない様に過ごして行く

 ああ どうにか 神様舞い降りて下され
 わしを 救っちょくれ

 ・・・・・・・・・・ 「海の見える家」の上棟写真
 今回も 軸組の失敗無く 死刑宣告は受けなかった 一安心
 雨にも まぐれで合わず 何とか屋根じまい完了
 薪ストーブ重い 130キロもある わし一人で抱えられん
 どうやって 施行しようか 楽しみな感じ
 

親方の独り言

2009年 06月 21日 (日)

 今年の田植え 本日にて終了

 また 今年も ほぼ田植えを 手伝わなかった

 かわゆい弟と 頼りになる母が 全てやってくれた
 昨日午前中は なんちゃって程度の手伝い
 えらそうに 写真に収まっているが ほぼウダウダ状態である

 ありがとう 弟よ 来世でも わしの弟であってくれ

 
 さておき 明後日に 「海の見える家」の上棟を迎え
 最終段取りに入る

 基礎工事が始まってから
 朝一に「海の見える家」の現場に立ち寄ってから事務所入りをする日々

 今日の波音は 一段と高く
 「海の見える家」は 「潮騒の薫る家」でもあるのだなあ

 今回は 井上さんが棟梁で 吉松さんがサポート
 構造見学会と完成見学会を開かせてもらう予定
 30坪と大きくない平屋の建物が 空間構成で広がって行く仕掛けをした
 梁位置を変えたり 薪ストーブ中心のプラン
 今回の趣向はブラケット照明多用・プランの単純化・外壁納まりの改良
 簡易介護型住宅

 積み重ねて 積み重ねて ゴールまで辿りつきたい