親方の独り言
2009年 09月 22日 (火)
上領八幡宮秋祭り終了
見学会場を5:00PMきっかりに 終了し
預かっていた剪定バサミ&包丁を作業場に運び
その足で上領へ 高速道路に乗り6:00に到着
ママアズ&きゃば 先行到着
上領の内藤さんと村上さんに挨拶した後
ママアズの直前合わせ練習の合間 ママアズのちびっこ共と鬼ごっこ
7:30分からの公演に突入
「維新」に始まり
「男なら」から 煽り踊りに突入
「エターナル」で ヒートアップ
「フリーダム」で 地元有志を交えた なんちゃって総踊り
恒例の餅まき 地元スタッフ4~5名+ママアズ&きゃば ステージに上がり
最終フィナーレ
今回は いつものように 11:00からの出店手伝いからの ロングラン ではなかったので
その間 1時間余り なんとも かんとも あっと言う間の出来事が繰り返された
僅か4人の踊り子+煽り兼任なんちゃって踊り子 の 5人での公演
客観的に見て どうであったのか うだうだ で あったのか
「よさこい」的には うだうだ で あった かも 知れん が
わしに とっては これこそ「よさこい」である
上領の人達の 暖かい眼差しに包まれて
スタッフの皆さんから ありがとう 良かったです 御苦労様と 言われ
見知らぬ上領の オッチャンから「凄い良かったで ほれ 一杯行きんさん」ビール注がれ
見知らぬ上領の オバチャンから キラキラ うるうるの目で 「良かったよ~」と言われ
わしらあは 元気を届けに行ったつもりが
逆に 勇気附けてもらい
元気一杯になり
1:00迄寝れず
うとうと ぱっちり うとうと ぱっちり を 繰り返し
仕方ないので 4:00頃から あんな事や こんな事に 思いを巡らし
6:00より 仕事を始め 一区切りついて パソに向かっている
やはり 人は人と混じり合う事でしか 生きて行けないらしく
わしらあは 人と混じり合う すんごく有効な手段である「よさこい」を持って
上領に 思いを 届け
逆に 幸せを 一杯一杯 貰い
人が生きて行くと言うのは こういう事で あるのだよ
ママアズ&きゃば の きらきらした瞳 が まぶしく
上領の人達の 暖かい眼差しが 嬉しく
ああ わしは 今こうして また 上領の地に 立っているのだよ
いつまで こうして 「立っている事」が 出来るか分からん が
公演を 終了した途端
また こうして 「立っている事」が 出来る日が来るのだろうか と
不安もよぎるが
いつか 「立ちたくても立てない日」 が きっと わしにも 訪れる はず だが
わしは 今 幸せである
「光に満たされた空間」に 昨夜は 確かに 自分の足で立っていた
これが 人の世なのであるよ
・・・・・見学会半分終了 上領もあったので この辺りで「ぶっ倒れる」予定だったが
逆に スーパー元気に なってしまった ありがたや ありがたや
親方の独り言
2009年 09月 20日 (日)
昨日から始まった ロングラン(←ぶっ倒れるかも知れん)見学会 In 「海の見える家」
秋穂の片田舎で開催する見学会に見に来る人は そうそう おりゃあせんじゃろお
と たかをくくって 会場で 一人ぽつねんとしていると
10:00ちょい前 我が妻のパパリン(←悪玉キュピー;わしが名付けた)とバアチャン来場
愛するパパリンと よもやま話してパパリン退場
又 一人ぼっちになり ああ やっぱり人は来んなあ~
準備しておいた文庫でも読もうかいなあ
と 思っていると
10:30頃 施主さんの「友達の友達の知り合い」だと名乗る
秋穂のビッグママ軍団来場
「○○さんから聞いて来たんじゃけど そうかね 修ちゃんの息子かね」
「お父さんに似ちょるねえ~」
「母さんに似ちょるねえ~」
「わたしゃあ あんたの近所のけんちゃんの同級生なんよ」
「わたしゃあ 磯部さんの同級なんよ」
「お母さん元気にしちょってかね」
「あんた 秋穂に内田工務店があるって もっと宣伝せんにゃあいけんよ」
「そういやあ あんた うちの娘と同級じゃ ないかいねえ」
「有冨先生(←わしの母が勤めていた医院)の墓に まだ お母さん行きよってかね」
「○□△×じゃねえ」「○□△×かいねえ」「○□△×いいいね」
ビッグママ軍団の話止まらず 宴始まる
そうこうしていると
あれよ あれよ 終了の5時まで ひっきりなしで
初めて会う人 以前見学会に来てくれた人 秋穂の人 わしの母 わしの叔母
準備していた「自己紹介」ピラピラパンフも無くなり
慌てて途中から来てくれてたトステムの浜野さんにコピー増刷御願いし
古賀棟梁の奥様も手伝いに来てくれ
愛妻も3時頃 エス(←愛犬)連れで応援に来てくれ
暇も無く というか せっかく来てくれた一人一人に充分な話も出来ず
粗相が あったのか 無かったのか も 分からず
怒濤に終わった初日
本日より四日間
「包丁・剪定ハサミ・研げる物なら なんでも持ってきてねツアー」始まる
既に 日にちを勘違いして持って来られて
「預かっている包丁&ハサミ」が 20本以上ある
OBの方々が 今日から会場に 集まってくれる
う~む 地元開催は やっぱり ええのお~
ほのぼのじゃのお~
心地良いのお~
あんまし疲れん
やっぱ地元じゃよ
「なごみの巣」じゃよ 故郷じゃよ さやかに風も吹いちょるよ
ああ おまえは何処に向かうのじゃよ と お日様が微笑んじょるよ
ちょっと早いけど 今から 行ってこよおっと
親方の独り言
2009年 09月 14日 (月)
来週には 上領八幡宮秋祭りが開催される
この「祭り」と「そこに住む人」を 愛している
6年前だったか5年前だったか
社中に在籍していた ビッグママ野田さんの「引き」で
秋祭りに 甦町屋社中が出演する事となった
わしの地元の「菜の花祭り」と同様
遊んだり・じっとしちょったりするよりも地元をなんとか盛り上げようやあ
と言う 美祢市上領の人達が 地元上領八幡宮の秋祭りを起こしている
たこ焼き・焼きそば・金魚すくい・綿菓子・射的・輪投げ・型抜き
焼き鳥・ジュース・アイス・生ビール・ヨーヨーすくい・くじ引き
おおよそ 縁日にて考えられる出店全てを
地元「上領」の有志が 50円とか100円とか ほぼ原価にて 取り仕切る
初めて行った時 内藤さんが
「最初は業者の人も出店を出していたけど あまりの安さに皆撤退したそ」
と 笑って話してくれた
前日より 祭り準備を始め
当日11:00より本格準備
ブルーシートのテントや 100㍗裸電球の飾り付け
2:00頃 御輿が 八幡宮を出発し
ぼちぼち 出店を開いていく
地元の子供達が小銭を握りしめ 金魚すくいや射的をする
少しずつ人が集まり始め 20名位の客入りとなる4:00頃
甦町屋の第一回演舞
観客より 関係者の方が多い中
夜に向けて頑張ろうやあ の 気持ちが高まる
わしは 上領では 地元の方々から「大将」と呼ばれ
社中メンバーは 出店の手伝いをし
地元関係者20名 社中関係者10から15名の陣容で
祭りを繰り広げていく
「大将 まあ 一杯いってえやあ」
ビニルコップに生ビールが注がれ
ぐびぐびしながら 一周50mもない出店の間を
やあやあ言いながら廻っていく
一周すると 何故にかコップのビールはなくなり
サーバーの所で また「大将 まあ 一杯やってえやあ」と注いで貰い
また一周し また注がれ また一周し 注がれ
合間に演舞し
ヘロヘロになった7:30頃 最終演舞を行う
30分の演舞の後
「餅まき」に移行 小さな小さな6帖あまりのステージにて
社中及び地元関係者の面々で 餅まき
8:30頃 終了
毎年行っていると
ああ 去年もこの子は居たな
ああ ばあちゃん 今年も元気に来てくれたのお
スタッフの皆さんの顔を覚え
自分にとっては 上領は「第二の故郷だ」との思いがある
悲しいことに この9月の20~23の間は 「雨日」らしく
去年は大雨にて 前日設営テント崩壊 祭り開催も危ぶまれ 社中出演なし
結局 開催したが スタッフの皆さんは 大変な思いをされた
一昨年は 大雨の明け日 少し小雨も降り ぬかるみの中での開催
3年前は 確かまぐれで晴れ
4年前は 土砂降りにて アイスは一つも売れず
5年前は 雨だったか晴れだったか
一生懸命準備して 雨に毎年やられる この祭り
地元の人達が必死でテントを設営する姿を見ると泣きたくなる
嬉しいことに 今年も上領から お呼びがかかった
悲しいことに 4年前結婚されて 今年春 長男が生まれた宮司さんが亡くなった
奥さんが 残された息子が成人するまで替わりに頑張られる との由
上領八幡宮宮司さんの優しい笑顔に会う日は二度とない
今年は また 格別の思いで 祭りに参加させて頂く
残念なことに 完成見学会と重なり 夜しか参加出来ないが
上領に 自分の 社中の ありったけの思いを 落としに行きたい
一年一年 時は過ぎ
時は命 過ぎるが人
巡り会う人達と 同じ時間を 過ごしに行く
自分が 「よさこい」を辞めないのは
上領の人達の「笑顔」と 社中メンバーの「笑顔」が あるからなのだなあ~
同じ時代に生きている 同じ空気を吸っている
人生は短すぎる 争う時間より 楽しむ時間を共有したい
「争い事」が嫌いなのは ひとっつも良い事のない時間を持ちたくないからで
命を無駄に 過ごしたくないからで
みんな みんな 巡り会う人達が 大好きだからで
また 上領の人達に「大将」と呼ばれに行く
この時期 心は上領にある
親方の独り言
2009年 09月 06日 (日)
日々 あんな事や こんな事が あって
あんな事や こんな事が あるのは
あんな事や こんな事をしているからであって
良いのか 悪いのか よ~分からんが
考えて 考えて やるのも良いが
基本 走り始めたら 四の五の言わず やり通すのみである と思っていて
批判するのも 意見するのも やってみんと 言うちゃあいけん
言葉より なにより 「動いてみた事実」が 大事なんじゃ
ヤリもせんもんが 経験もしたこと無いもんが ぐちゃぐちゃ 言うな
と はっきり意識していて
「ヤリもせんと ぐちゃぐちゃ言う」自分に ならぬよう
日々気を つけている
わしゃあ 我が儘なので 我が儘を 通す為には
それなりの事を しておかなと
ホンに ホンに ただの「我が儘野郎」に なってしまう
ので それなりに 自分に 課しているのは
「出来る事は やってみる事」
「自分には無理そうでも 自分の責任になることは 手を出してみる事」
「自分が やれもせん事に ぐちゃぐちゃ 口出しせん事」
で
日々 やっている事は 「チームワーク」の仕事で
と言うか 人はどうやら 共同作業で 「事を成す」のが 習性らしく
「自分一人で完結する事」の方が 少ないような気がする
「海の見える家」で 一人ぼっちで 掃除道具と 補修セット片手に
ごちょごちょ ごちょごちょ 作業していると
手掛けてくれた職方 一人一人の顔が浮かんできて
なんと言おうと 四の五の言おうと 「海の見える家」の責任者は わしで
あんな事や こんな事が 日々現場では おきていて
全ては わしの責任に なってくる
「投げ出したら終わり」「諦めたら終わり」「わしが諦めたら全てが終わる」
当たり前の ように
「自分が投げたら 自分が終わる」
「自分が諦めたら この家の成長は ここで止まる」
「自分が諦めたら 自分の大事な物の 全てが終わる」
と 感じている
・・・・・・・ まあ 当たり前か…
基本 何が我が儘か ちゅうと
何でもかんでも 自分の責任に なる事は 自分で やらにゃあ気が済まん
出来る事なら 自分一人で ごちょごちょ やってしまいたい
自分で 「した事」 なら 自分自身 納得出来る
自分で 「した事」 なら 自分自身 覚悟出来る ケツを拭ける
ただ わし一人では この家は出来んので あって
いつもの事では あるが
この「仕上げ掃除・仕上げ作業」を している時が
自分自身の 「人間性」を 確認している時なのだなあ
作業しながら 思うのは 好きな言葉の中の一つで
「幸せ」の量は 一生を通すと人間みんな同じで
どんなに「幸せ」に見えている人でも 「死ぬ時」には プラスマイナス ゼロ で
どんなに「不幸」に見えている人でも 「死ぬ時」には プラスマイナス ゼロ で
人は 生まれてきて死ぬまでには 色んな事が あるかも知れないけれど
どんなに偉く見える人でも どんなに成功したように見える人でも
生まれる前が ゼロだったように
死ぬ時には 一生を通すと ゼロに なっている物で
大きい幸せ が あれば 大きい不幸 が あって
結局 プラスマイナス ゼロ に なっていて
けれども いつも「幸せ」そうに見える人はいて
その人は 同じ事が起きても 「幸せ」に感じられる人で
同じ事が起きても 不幸に感じる人と 幸せに感じる人 が いて
「幸せの量」は みんな同じなのに
「幸せ」と感じる心は違っていて
「この人は いつも幸せそうだなあ」と思う人は
同じ事が起きても 幸せに感じられる人なのだ
なんか 長々した文章の感じだが
わしの好きな言葉(考え方)の一つで
コニタンの話を聞いた時
コニタンの師匠である 欽ちゃん が 言ってた との事
「それじゃあ 生まれてすぐ死んでしまった子は どうなんじゃ」 とか
「生まれてすぐ 事故にあって 身体不自由に なった 場合は どうなんじゃ」 とか
「戦争で 死んで行った者は どうなるんじゃ」 とか
異論は あるかも知れんが
例外は いくら例を 上げても例外なので
四の五の言う より そう考えていた方が 身の為なので
某かの時には この
「人間は結局プラスマイナス ゼロ」
「同じ事でも 良い様に思えば 何でもない」
と 言う 考え方を 思い出す
後ろを向いたら「死ぬ」所まで きりが無い
後ろを向いたら「疲れる」
ので
いっつも「前」しか 向かん
星飛馬が「倒れるときは 前向きに倒れたい」と 大リーグボール開発時に言っていた が
ええ事言うのお と 子供心に 感心した
仕上げ作業しながら ごちょごちょ思った一日で あった
・・・・・・・・ 「海の見える家」ほぼ完成
9/19~9/24のロングラン見学会を開催する
その中日に 上領八幡宮秋祭り も ある
日々の業務 も ある
倒れるかも知れん 思うだに ぞっとする
思うと ぞっとする ので 考えない事に する
走り出してしまえば もがいちょったら なんか知らんが 終わっちょる
物 でわ ある
親方の独り言
2009年 09月 02日 (水)
8/21~8/23 毎年恒例となっている アジカレ
韓国学生のホームステイ受け入れが 終了した
今年は イ君にキム君 「イ」とか「キム」とかの名前は
韓国に溢れているらしく
思えば 今まで家に泊まっていった学生達7名 全て「イ」君か「キム」君では なかったか
毎年の事では あるが その3日間 自分の仕事はストップし
現場を動かす為に 段取りの鬼となり
朝4:00より夕刻まで 事前一週間 休む為に動く事となる
8/21は 朝3:00より仕事に突入し
韓国学生の迎え入れ11:00amまで ビッチリ仕事
その後 学生二人と 津和野→夕飯 焼き鳥「大吉」小郡店
8/22 起床→弟一家と学生一緒で福岡ドーム→キャナルシティ→夕飯 もつ鍋「あるむ」
8/23 起床→美祢水神公園の流しそうめんを昼食→学生達送り届け
燃え尽き 夕方まで爆睡
今回の学生達は 日本語学科の学生だった事もあり
会話は かなり楽であった 毎回毎回話していて思うのだが
テレビで見る韓国と実際の韓国人は 明らかに違う
日本にホームステイしに来るくらいだから 日本が好きなんだろうけど
それを 差し引いても 毎回毎回フレンドリーで 一生懸命生きているのが分かって
応援したくなる「若者」ばかりで おじさん いっつも嬉しいのだよ
世界には まだまだ 頑張っている若い奴等が一杯いる と 思えると 嬉しいのだよ
学生が来てくれる御陰で 今更ながら 毎年 錦帯橋や厳島神社や青海島や秋吉台や津和野に訪れ
日本の景色は宝であるなあ~ ええ所が一杯あるのお まこと神州じゃのお
日本人で良かったのお 自分の住む町を 再確認させて貰う
わしは 彼らにとって「良いアニキ」でありたいと望んでいて
今回気付いたのだが どうやら自分も人並みに年を取って行っているらしく
今回の学生の親御さん達は わしと同い年であった
ちょっと びっくり でも あんまし考えんでも 当たり前で
まあ これからは「良いオジサン」を目指そうかと思っている
人は 一人一人を見ると 生きている人で 日本だろうと韓国だろうとアメリカだろうと
生きている姿は変わらぬ物ではある
国や地域や政治や経済で 立場の違いはあるかも知れんが
一人一人を見ていると 同じ人間なのだなあ と 思う
いっちょ変わらん
秋穂の片田舎で「良いオジサン」になるのが わしの理想なんじゃなあ
イ君とキム君が 良い大人になって日本好きになってくれたら
こんなに嬉しい事はない
今回も 良い若い士と巡り合わせて貰った
こういう機会を与えてくれる 中野さんに感謝
ホンマもお 中野さんも毎年毎年 よ~やるなあ
中野さんが続ける限り 自分も何らかのサポートを続けさせて貰う
・・・・・「海の見える家」最終段階 今週末には仕上げ掃除に入る
潮騒に望む「木の家」が もうちょびっとで 完成する 今回も「良い花嫁」になったと思う


